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座位での瞑想

今日は座位での瞑想をしてみました。 あぐらをかいて、片足だけを膝の上にあげるのを半跏趺坐(はんかふざ)、 両足を膝の上にあげるのを結跏趺坐(けっかふざ)といいます。 指導者にどうしてこのような座り方をするのか聞いてみました。 すると、足が組まれて安定するからということです。 あまりこだわらなくてもよいようです。 今日は単なるあぐらで挑戦しました。 普段、椅子を使っているので、結構つらいです。 途中足を組み替えたりしていましたが、周りの人が言うには、4時間くらいやっていたということ。 瞑想というものは身体の痛みに耐えて行うものなのでしょうか? ここは、疑問が残ります。今回の瞑想は、座禅と同じように、膝の上に手の平を上向きに置き、人差し指と親指で輪を作ります。 この輪に、今回は1円球を挟んで瞑想しなさいという課題でした。 夢を考えればわかるのですが、瞑想状態になると体のポジションがどうなっているかということが分かりません。 例えば、手を握っているのか、開いているのかということが分からなくなります。 これは、体の位置を測る、位置センサーがないことに起因すると思います。 体は、筋肉の収縮具合によってだいたいの位置を把握しているのだと思われます。 そのため、人差し指と親指で挟んでいる1円球がポロッと落ちてしまうことがあります。 ところで、この瞑想の目的は、意識を他に向けるということです。 つまり、一円玉を支えているということは、明確には意識されないにしろ、部分的に意識がそちらに向いているということです。 今は、他のことを考えているかもしれません。 しかし、その意識は、その他のことと、一円
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