いい人をやめた日から、人生が整い始めた
「いい人だね」って言われるのは、たしかに悪い気はしない。でも、その言葉の裏側で、ずっと息がしづらかった。気づいたら私は、空気を読むのが癖になっていた。誰かが不機嫌そうだと、理由を勝手に自分のせいにして。求められてもいないのに、先回りして。断れないまま、笑って受け取って。それが“優しさ”だと思っていた。それが“大人”だと思っていた。でもある日、ふと怖くなった。「私は、いったい何がしたいんだろう」って。誰かの期待に応えることばかり優先していたら、自分の気持ちが、どこにあるのか分からなくなっていた。「期待される自分」を演じ続けると、本音は薄れていく期待される自分って、便利なんだよね。人に嫌われにくい。波風が立たない。評価されやすい。だから無意識に、そこに寄せてしまう。「こう言えば安心されるかな」「こう動けば怒られないかな」「ここで断ったら冷たい人って思われるかな」その積み重ねの先に起きるのが、これ。“本音が分からない”本当は嫌なのに、嫌って言えない。本当は疲れてるのに、頑張れてしまう。本当は距離を置きたいのに、優しくしてしまう。そしてある瞬間、心が言う。「もう、分からない」って。周りにどう見られるかより、自分がどう感じているか人生が整い始めたのは、特別なことをした日じゃない。ものすごい決断をした日でもない。ただ、基準を変えた日。「どう見られるか」から「どう感じているか」へこれだけで、世界が変わった。例えば。誰かに頼まれた時、即答しない。まず、自分に聞く。「本当は、やりたい?」「今の私に、余裕ある?」「これは、“喜び”から?それとも“怖さ”から?」その問いを挟むだけで、人生の流れは静か
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