愛を受け取る権利について
こんにちは、始めまして!ココナラでは初のブログを書かせて頂こうと思います。今日は「愛されない子鬼」について、綴ろうかなと思います私はどうしようもないぐらい「愛されてはいけない存在だ」って意識から人に対して適当に対応していました色んな人の好意を見知らぬフリをして、開き直ってた所です友達でも注意してくれる人も、「いっときの気まぐれだろうな」ってでも、そんな私を自覚してたからこそ好意に気付いたとき思い悩んだんですよね「なんで私なんかに」と私は卑屈だし、好意を受け取る資格もない例えるなら「いたずらをして、存在をスルーされる子鬼」いたずらをする子鬼には知らぬ存ぜぬな対応もしくは嫌われるのが普通なのに、なんで私に好意を?それで思い悩んで、一旦違う視点に立ってみました「あの人もこの人も、愛される資格はある」そう考えたときに私がその資格を取得するのに何の違いがあるのだろうか?DNA、環境?赤ん坊から愛される資格競争は始まってる?何歳からその資格は貰える?誰に私を愛される資格を貰う?そう考えたとき、何も無かったんですよね資格なんて最初から無かった私にはどうしようもないことでしたただその悪い事を叱ってくれる人や抱き締めてくれる人が居たか居ないかの環境の違いでしかなかった「環境から、愛される子鬼」「環境から、愛されない子鬼」”私は愛される権利はあった”んです。ただ、愛してくれる人がいなかっただけだった。そう考えたら、私は愛される資格がなかったわけじゃないんだって少し前を向けたって話でした今後もこういうブログ記事を書けたらなと思います!
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