絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む

すべてのカテゴリ

1 件中 1 - 1 件表示
カバー画像

ボロボロの扇子と、子どもの宝物。モノの「価値」は、誰が決めるのか。

我が子が、一本の扇子をとても大切にしています。先の方がボロボロになりかけていて、全体的に少し汚れている。人気キャラクターが描かれているわけでも、高価なものでもない。ごく普通の扇子です。大人の目で見れば「買い替えようか」と思ってしまう状態ですが、子どもにとっては買い替えのきかない特別な存在のようでした。その姿を見ていて、ふと思ったんです。モノの「価値」って、いったい誰が決めるものなんだろう、と。価値の正体は、「体験の染み込み」にあるその扇子が汚れた理由のひとつは、キャンプでした。家族で行った焚き火の夜、子どもはその扇子で火をあおぎながら、一生懸命に炎を育てていました。先が黒ずんでいるのは、煙にまみれながら火に向き合っていた証拠です。大人の感覚では「道具が傷んでしまった」と捉えがちです。でも子どもにとっては、あの夜のワクワク感、煙の匂い、自分で火を大きくできたときの達成感、みんなで囲んだ時間——そのすべてが、扇子に染み込んでいる。ただ、それだけが理由ではないとも感じます。人がモノに強い価値を見出すとき、もう少し複雑ないくつかの層が重なっているはずです。価値を形づくる、3つの層ひとつ目は、「自分の歴史が刻まれている」という価値です。最初からボロボロだったわけではなく、自分が使い込んできたからこそその形になった。擦り切れていくプロセスそのものが、自分だけの証明になっている。ふたつ目は、「絶対的な自分のテリトリー」としての価値です。大人のルールに囲まれた日常の中で、その扇子だけは自分の自由が完全に保障された聖域。誰にも口を挟まれない、自分だけのものです。みっつ目は、「感覚的なお守り感」で
0
1 件中 1 - 1