「話が上手い人」を目指すのをやめた日から。口下手な私のままで、誰かの居場所になる『聴く』という選択
カフェのざわめきの中、目の前の人がふと視線を落として、言葉を止める。
カチャカチャと鳴るカップの音や、隣の席の笑い声が急にくっきり聞こえてくる、あの独特な「間(ま)」。
30代、40代と年を重ねるにつれて、私はこの「会話の沈黙」が、どうにも怖くなっていった。
「何か面白いことを言って、この場をつながなきゃいけないんじゃないか」
「人生の先輩として、相手の悩みに効くひとことを言ってあげなければいけないんじゃないか」
そんな焦りに背中を押されるようにして、私はいつも、相手が言葉を探しているその静かな時間を、自分のどうでもいい話や「正論」という名の言葉でさっさと埋めてしまっていた。
でも、別れ際に相手が見せる、どこかすっきりしていない、曇ったままの表情。それを見るたびに、胸の奥がちくりと痛んだ。
「あの人が言いかけていた本音を、私の言葉で踏みつぶしてしまったんじゃないか」という、静かな後悔。
もしあなたも今、職場の部下や後輩、あるいは大切なパートナーとの間で、「相手の本音がわからない」「どこか表面的な会話しかできていない気がする」と感じているなら、少しだけ立ち止まって、一緒に考えてみてほしい。
私たちはいつから、「上手く話すこと」ばかりに気を取られて、目の前の人の声を置き去りにしてしまったのだろうか。
・30・40代を縛りつける「何か言わなきゃ」という呪縛社会に出て、さまざまな経験を積んできた。仕事では中堅やリーダーという立場になり、プライベートでは家庭を持ったり、人生の転機を迎える友人の相談に乗ったりする機会が増える。
「役割」が増えれば増えるほど、気づかないうちにある思い込みが染
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