言葉にしすぎないほうが、生きやすいときがある
目的は具体的に──よく言われることですが、人生においては必ずしもそれが正解とは限りません。言語化は、自分の内側を扱いやすくするための大事な道具です。ただ、言葉にしすぎることで、その言葉が“枠”になってしまうことがあります。「こうしなきゃいけない」「これが目的のはずだ」そんなふうに言葉が先に立つと、本来の感覚と少しずつズレていきます。本当はもっと曖昧で、広がりのあるものだったはずなのに、言語化した瞬間に“形”が固定されてしまう。すると、変化が起きたときに対応しづらくなる。言語化できなくても、方向さえあればいい最近は、言語化できなくても、感覚として方向があれば十分 そんなふうに思うようになりました。うまく説明できなくても、なんとなく「こっちのほうがしっくりくる」という感覚。その曖昧さは、決して弱さではありません。むしろ、変化に強い“余白”になります。目的は「人生のOS」みたいなもの目的を細かく決めすぎると、OSがアップデートできなくなります。少し抽象的で、ゆるやかで、そのときの自分に合わせて形を変えられるほうが、長く使える“目的”になります。言語化は大事。でも、言語化しすぎないことも同じくらい大事。そのあいだにある “ちょうどいい曖昧さ” を、これからは大切にしていきたいと思います。
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