わたしが悲しかった朝──寄り添いと理屈のあいだで
前夜、「今日はふたりで動く日」と思っていたわたし。
前夜、ゆっくり湯船に浸かりたかった。
夫も「一緒にお風呂入ろう」と言っていたから、
パソコン作業をしながらウトウトしている夫に、何度か声をかけた。
けれどタイミングがつかめず、そのまま寝ることにした。
翌日は、やりたいことがたくさんあった。
寝室の模様替えや買い出し、そして──
最近お気に入りの喫茶店で、夫とのモーニングを何より楽しみにしていた。静かな店内で香ばしいトーストとコーヒーを味わいながら、
「今日はふたりで動く日」になるはず、そう思って段取りを考えていた。
段取りどおりにいかない朝と、「悲しい」の感情。
けれど、その翌日は思っていた流れとは少し違っていた。
夫は朝、いったん目を覚ましたものの、また眠ってしまった。
モーニングに行けると思っていたわたしは、
声をかけるタイミングを迷いながら、だんだんと心の中がざわついていった。
「今日は、ふたりで動く日になるはずだったのに」──
その気持ちは、ちいさな苛立ちや焦りというよりも、
どこか“悲しさ”に近いものだった。
わたしはシフト制で働いていて、
土日休みの夫と休みが重なる日はそう多くない。
だからこそ、一緒に動ける日は貴重で、
運転ができない自分にとっても、買い出しや用事を済ませられる大切なタイミング。
効率よく動いて、午後はお互いのための時間を残したい──
そんな想いが、静かに心の中に積み重なっていった。
「悲しい」と言葉にできるまでには、
いくつもの小さな“こうしたかった”が積もっていたのだと思う。返ってきたのは“理屈”だった──共感のすれ違い。ようやく「悲しかった
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