№556 - 2026/7/21 「何のために生きるのか」は、すぐには分からない
前からこの問いはあったのですが・・・久しぶりに息子が 「何のために生きているのかなんて、わからないし」と言いました それを聞いたとき、自然と「そりゃ、そうだよね」と 以前なら、この言葉を聞いた時 どうしよう。なんて答えたらいいのかどう、話そうかと頭のなかでグルグルまわり、言葉が出てきませんでした でも、今の私は「そりゃ、そうだろう」と思ったということそれは、なぜかといえば、ここしばらく自分の中のテーマでもあったからです この、何のために生きるのか という問いは・自分は何が好きなのか ・何が得意なのか ・何をやりたいのか ・何に興味をもっているのか これらすべてにつながることであり、それは頭で考えているだけでは分からない何かしらやってみないと、行動にうつしてみないと分からないものだと つくづく思い知らされていたからです 自分自身が迷ってきたことこれがやりたい、これこそが私の天職だと思ったことが、いつのまにか変わったり やりたいと思っていたことが冷めたり 逆にあまり好きではないけれど、上手くできて喜ばれたり これらすべて、自分の気持ち、意志、思考にそった結果にならないことがありましたそれはやってみて、そうなったというだけで そこで終わりなのかと言われれば、それは分からなくて現時点で分かることと、分からないことはあるでも、やはりやってみて気づいたこと 今一つと思ったこともこれからまた、やってみたら変わる可能性はある それくらいのことなのではないかと思うようになった やっと、自分自身の行動からそれが素直に認められるようになった 自分のなかで「腑に落ちた」ので、息子への言葉になったという
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