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TAKEZIN AS, 5

お久しぶりです。さていくつかのブログで展開したTAKEZIN AS, は、そろそろ終盤に入ります。さて終盤、振り返っていきますか。【東京暮らし】 大学卒業後にはそこそこ音楽への道がありました、キーボードでスタジオワークに参加したり、代官山にあったプロダクションに在籍するようにもなっていました。ただ、自分も若かった。方向性の違いで周囲と調和できず、結局静岡に帰ることにしたのです。帰省後は、サラリーマン生活や結婚、子育てなど、落ち着いた生活を送っていました。音楽にも触れつつ、今では300を超えるオリジナル曲を作っていましたね。【師匠 五十棲淑朗との出会い】 そんな平和な日々も、師匠である寺内流聰師範代 五十棲淑朗との出会いによって無惨に打ち砕かれます(笑)。 何の気なしにスポット的にライブのお手伝いという事で参加した、知る人ぞ知るバンド「テリーズ」だったのですが、大渦に巻き込まれるかの如く、メンバーとなり、気がつくと「ヘタクソ」だの「ボケ」だのとメチャクチャ。そこでぼくは本当のプロバンドの厳しさを体感したのでありました。【まだ見ぬ地平を】そんな日々を続けているなかでの東日本大震災。多くの方が傷つき、お亡くなりになりました。ぼくの友や仕事でお世話になった方も帰らぬ人になった方が何人も居ります。 チャリティコンサートなんてのも企画し、やりました。そして現実的に、音楽はほぼ役に立ちませんでした。その無力感。 そしてたくさんの夢を抱いて、今も本当は生きて居たはずの仲間たち。 またあの地で夢に向かって歩んでいた、見知りではないけれど必死に生きていた魂たち。 自分の人生を振り返った時、またもう
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TAKEZIN AS, 4

はてさて、TAKEZIN AS,のブログもだんだんと数が多くなってまいりました。1人の人生についてのストーリー、読んでいただけて嬉しい限りです。2と3では、音楽人生が大きく変わった中学生時代についてお話ししました。次からはそこから芽吹いた、高校生時代や大学生時代について綴っていきます。【県立富士東高校時代】 色々あった中学校から、高校に進学。当時は信じられないことですが、学園祭でのエレキギターは禁止されていたのです(懐かしい話題ですね。同じような経験をした方は少なくないんじゃないのかな?風紀の問題とのことでしたが、それにより、何人のエドワード・ヴァンヘイレンへの潜在的才能が摘み取られたことでしょう・・・。ともあれ、そんななかでもぼくはピアノ弾き語りなんかでひとりでステージに立ったりなんかもしていました。【専修大学法学部時代】 上京、専修大学法学部入学。在学中はバンド漬けの生活でありました。数多くの違ったジャンルのバンドを結成し、ライブハウス出演を重ねていましたね。ボーカルだった「野次馬ブラザーズ」ではコンテストに参加して、なかなかに濃い時間を過ごせていました。ちなみにウチのギターの佐野はそのコンテストでは最優秀ギタリスト賞だかを頂いたことを覚えています。地元にふらり帰省した際、ひょんなことでジャス喫茶に通い始めることも。そこでマスターの吉野勝之と出会い、吉野勝之バンドのメンバーはじめ多くの友人たちと知り合うようになりました。ジャンルはジャズであり、このジャンルではズブの素人でしたが、自由に音楽を創造していく楽しみを教えていただきました。ジャズとは一切の制約が無い音楽で、譜面だっ
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TAKEZIN AS, 3

お久しぶりです。TAKEZIN AS, 続けて読んでくださる方もいらっしゃって、ありがたい限りです。パートナーからは「武仁さんはキャラが濃いので、それがココナラ上で伝わるのかがちょっと難しいかもしれない」と言われてもいましたので、こうして少しでもご興味を持っていただけるのは嬉しいのであります。さて、中学生時代の振り返りでまた思い出したことがあったので、追記を。…これは蛇足であり、ぼくの恥ずかしい思い出のひとつでもあるのですが・・・。中学3年生の時、当時、日曜日の昼過ぎファミリー歌番組としてNHKのど自慢の次くらいに有名だったであろう、「家族対抗歌合戦」という番組がありました。ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね。せとてんや・わんやさんが司会をやっており、日本歌謡曲界の重鎮となっておられる作曲家・作詞家の先生方が審査員でいらっしゃった。、今考えると結構すごいメンツだったなあと思います。その、静岡県大会というのがあって、姉貴と母親が勝手に申し込んでしまっており、静岡での予選会に出なければならなくなったのです。予餞会には大げさでなく数百組が参加しており、ちゃんと予選を一組一組やっていましたが、何と勝ち上がってしまい、TVに出演することとなりました。番組では、動物名を冠した家族チームでのコーラス、それぞれのソロの歌の対抗戦で優勝を決めるというものでしたが、キツネさんチーム(爆)はここでも勝ち上がり、優勝してしまいました!商品は当時は高価だったビデオのマスタックスとかいう製品で、近所の電気店のお兄さんに家に取り付けてもらったなあ。。。今思うと、なかなか栄誉ある思い出だったのかもしれま
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TAKEZIN AS, 2

前回のブログを読んでいただいた方、ありがとうございました!また第1回目のブログ記事、「師」が思いのほか多くのアクセスをいただいていまして、ありがたい限りです。さてTAKEZIN AS, 中学校に上がってからの自身について振り返ってみようと思います。【富士市立岳陽中学校時代】通っていた中学校は合唱コンクール等で常に優秀な成績を収めていた学校で、校内の合唱大会も盛んでした。そんななか、ある日クラスの練習中に、スポットで指導に来ていた、県下ではその実力と手腕でその名を知られ、とても尊敬されていた合唱部顧問の恩師唐島教諭と出会ったのです。あまり生徒から慕われていない、厳しい先生ではありましたが、何故かぼくは「キミ、いい耳しているねえ!絶対音感だね」と云われたのです。それにより合唱部を兼部(私は筋肉ノウミソ派だったので陸上部に在籍していた)することとなり、図らずも歌の修行をするようになりましたりました。思えばこの時の一件も人生の歯車を狂わせた事件のような気もするなあ(笑)。 そうかと思えば、中学2年生の時のクラスで「お楽しみ会」という、いわゆるイッパツ芸会のようなものがありまして。そこで、当時人気絶頂であった原田真二さんの弾き語りモノマネをやったところ女子生徒にバカ受けしたため、「これはイケる!」と謎の自信を持つようになりました(笑)。 ピアノ弾き語り?でもギターの方がカッコイイかな?などど、そこで逡巡するも、何気なく見た譜面の上の方に書いてあったコードというものを覚えればどんな曲でも弾きこなせるという事を文献(月刊歌謡曲)により発見したのです。これを自分勝手に解釈し、音楽教室等にはいっ
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歌のトレーニング(概論)

ココナラの他記事で「音楽をマスターするのに必要なこととは」と掲載しています。そんななか、「具体的にはどんな練習すればいいんですか?」と聞かれることがあります。 そこで各論に至る前に、概論を掲載してみます。これは「うたのがっこう」をテスト的に始動したときの最初のレジュメです。 自分は指導者としては厳しい方ではありませんが(どの口が言うというツッコミが聞こえました、笑)、人の能力を引き出したり人の持つ魅力や長所を見抜く力には長けているかな、と自分で思います。 では以下、概論をまとめていきます。 ===================================== ①ストレッチ 特に決め事はありません。強いて言えば、特に肩から上を柔軟に、ということ。 歌、楽器、武道、スポーツ、全てにおいて柔軟であることと、弛緩から緊張への切り替えというものはとても大切なポイントです。 ストレッチ、なんていうとえらく大層な感じがしますが、歌う前にラジオ体操をイッパツ"入念"にやるだけでもいいんです。 身体を温める、柔らかくする、弛緩する、でもすぐさま力を込められるような状態に身を置くということですか、イメージ的にはのんびりしている虎のイメージ。すぐさま獲物に襲い掛かることが出来るようなイメージです、あ、あんまり良くないイメージかなあ(笑) ②姿勢音楽は呼吸です。正しく吸い正しく吐くためには姿勢が大事。 後は、欲を言えば筋トレ、体力作りまでいけるといいですね。もはや歌のトレーニングではなくなっちゃいますが(笑) ③呼吸法 歌唱法を云々するときによく言われる腹式呼吸法ですね。ぼくはノド声発声であって
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音楽をマスターするのに必要なこととは

ぼくは基本的に歌をうたう人です。 鍵盤を弾いたりもしますが、あくまで自分の歌の伴奏のためのものであり、少々クセがあるので人に弾いてもらうことが出来なくて、自分で弾いているというところが本当のところですかね。 歌に関しては、自分の演奏や歌を聴くたびに改善の余地を発見しますが、自分の歌に対する情熱だけは誰にも負けない、誰よりも強い思いをかけると決めています。 前置きはさておき、そんな感じの自分にメールが。 「たくさん楽器を演奏出来て羨ましいです。歌や音楽を独学していく上で必要なことって何ですか?」って聞かれたんですね。 そこで、以前一時的に立ち上げた「うたのがっこう」というグループの最初のレジュメで書いたものを掲載してみます。 ======================================= 歌・音楽のマスターに必要なものは何か? つまり、歌がうまくなりたい、ギター、ピアノ、サックス、その他・・・ いろいろありますが、これらの上達を望むのであれば、何が必要なのか、何を強化していったらいいのでしょうか? ぼくが考えるにおいて、そんなに多くの事はないような気もします。 ・リズム ・ピッチ ・感情を表現する ・演技する これくらいではないのかな、と。 ①「リズム」 曲のテンポに対して、ジャストであること。そして、ジャストである前提でワザと走らせたり、タメたりすること。 いわゆるリズムを喰う、って表現もありますね。これが自在に出来ることであると思います。 ②「ピッチ」 音程です。こちらも、ジャスト、つまり正確な音程をキープすること。このピッチが正確でなければ、ビブラートも活き
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ぼくの師匠は五十棲淑朗。 あのギターの神様、寺内タケシ氏から「寺内流聰師範代」という肩書きまで頂いたギタリストです。 あれ、武仁さん、歌とピアノでしょ? ギタリストじゃないじゃないですか? って聞かれることは余りないですね。実際、ギターなんてほぼ教えてもらったことなんかありません。もちろん人並み程度にはギターも弾けますけどもね。 じゃあなぜ師匠なのか。 そんな話をしていきたいと思います。 動画は師匠が弾くルパン三世のテーマ。出会いは、実は学生時代。 仲間と連れ立っていったチェーン店の居酒屋さんだったように記憶しています。 バンド演奏が入るってことで、当時既に自分は東京でバンド活動していたので、興味津々。 なんかカッコ悪いデブのひとがボソボソしゃべりながらギター弾いてるんです。 ちょっとギャグ交えて、どっかんどっかん客席が沸いてね。 ちょっと古いフィーリングのギターなんだな、みたいに思って聴いていたんですが。 最後にはアンコール!! アンコール!! と絶叫している自分がおりました。 でもその後、自分は東京に戻り学生をし、やがて東京で働き、Uターンで静岡に戻りましたが、またすぐ東京に赴き仕事をすることになり。 そこから実に十数年の歳月が流れます。 音楽は趣味程度で嗜み、再び故郷に戻ったぼくは真っすぐサラリーマン道を邁進しておりました。 ある日、先輩から「ちょっとお店のホームページ制作を手伝ってやってくれない?」というお誘いがありまして。 そこで赴いた先が文化屋楽器店だったのです。 狭い階段を昇り、ひょいと右を向いたところ、明らかにカタギっぽくないオッサンが不敵な笑みをたたえつつ「
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TAKEZIN AS, 1

こんにちは。 前回のブログでもお伝えした、自身の振り返りストーリーを本日より始めます。と言っても私の振り返りですが(笑)、読んでくださる方はぜひ楽しんでいってくださいね。 まず自身についてサラッとお話しすると、1963/12/05 静岡県富士市に誕生。血液型はB型RH+ 星座は射手座です。へび使い座ともいうらしいですね。 動物占いではお人よしの狼、らしいです(笑) 身長は170cm、体重が65キロくらいかな、だいぶ減りました。一時は80キロを超えていましたので、減量しすぎで病気が進行したのかも。趣味は、もちろん創作活動、専門書からラノベまでの読書、当たり前というくらいの音楽鑑賞、最近は少なくなりましたが絵画で会館巡りもしていました。 あとは趣味っていうより、身体を壊すまでずっと続けていた武道です。空手、少林寺拳法、合気道、剣道、ボクシング、です。有段者でして、合計すると何段になるんだろう? では、自分語り。略歴を置いていきますね。 これらが自分の音楽を形作ったルーツとやらなんでしょうね。【幼年期】 3歳の頃より、非常にスパルタ的なピアノ教育を受けていました。 しかし!! 「才能が無い」(ピアノ教師談)、「根気が無い」(両親談)等のナイ×2判定により、色付きバイエル卒業に伴いフェードアウト&ドロップアウト。小学校高学年までかけてそのザマでした。以後、お稽古事とは無縁の、のびのびとした少年時代を過ごしていました。 野山、海川が近かったので、自然児として遊びまわっておりました。 友達は人間より動物や昆虫の方が多かったです。 そのため自由はあったが学力はゼロでしたね(笑)。【
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TAKEZIN AS,

ココナラ開始に伴い、色々と自己紹介を始めていきたいと思います。今の状態をざっとお話しすると、静岡県東部を中心に活動しているバンド”Billy the Cat”リーダー、(現在活動停止中です)でした。 現在は10代から一緒に活動している兄弟分ギタリスト望月茂さんと結成、その後バンドへの展開に進化しているRabbit House(ラビットハウス)、そして人生のバートナーとボーカル+ピアノ&ボーカルというコンビで活動しているfeel Happyという二つのグループで現在は活動しています。 バンドでは作詞作曲を担当し、ボーカル&ピアノの弾き語りのスタイルです。 これまでもソロ活動を行っていましたが、2019年11月よりプロとしてのソロ活動にシフトしました。 バンドは継続していきますが、ピックアップメンバーで行い、さまざまな形で展開していきます。大人数編成、トリオやカルテットといったスタイル、完全なソロ、と様々なチャレンジを行っていきたいと思っています。 誰かの心に寄り添い勇気と元気と喜びを分かち合う音楽を届けることこそが自分のミッションであるとの自覚がようやく芽生えてまいりました。・・・となります。そうはそうだけれど、もう少し自身の人となりを知っていただくためにも、これまでの活動を振り返ってみようかなと。というわけで、明日よりTAKEZIN AS,シリーズを始めていきます。この人はこういう人生だったんだなあ、と思っていただければ幸いです。ご興味があったら、ぜひお読みくださいね。
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自分こそ自分のファンたれ、

自分こそ自分のファンたれ、と、いつの日かに夜空を見上げながら思った次第であります。幼い頃から特に理由なんぞも考えもせず、ただひたすらいろんなものを作ってきました。バカみたいな(笑)発明品、プラモデル、散文、小説、詩、クラシックからポップ〜ロック〜民族系の音楽、メインフレームのコンピュータシステム、オフコンやパソコンの業務システム、ゲーム、携帯アプリケーション、絵画、イラスト、ウェブページ、映画、ミュージックビデオ、フライヤー、ポスター、ペイントギター、コンピュータハード、インターフェース、企業ロゴ、商用フィルム、服飾、不評に終わった料理まで。本当に、色々とやってきて、気づいたら還暦を超えていたんです。ぼくの世代のみんなも、きっとそうじゃないかな。そんなこんなで、今は、ずっと自分の軸であった音楽と楽しく向き合って好きなように表現しています。演奏したり、カラオケ使ったり、自作曲を披露したりと誰におもねることもなく、好きなように。 客観的に見た時、人は「この人、ナルシスト?」って思うかもしれませんね。 でも、そんなことはまあどうでもいいし、どう見てもどう考えて頂いても結構なのであるけれど、いろんなものをこさえてもまだ満ち足りず、それでも他人からの評価や反応が気になったりする自分の小物っぷりもまた愛おしい、いや、なんだか可笑しくなっちゃうのです。車の中でジャミロクワイのアルバム数枚がチェーンでかかってると思いきや、オリジナル曲のまだ歌詞がついてないものや作りかけのインスト曲、過去に作ったけど気に入らないテイクのものなどが流れていて、それをバックにやたら歌っている自分がいて。そうか、ぼく
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