ぼくの師匠は五十棲淑朗。
あのギターの神様、寺内タケシ氏から「寺内流聰師範代」という肩書きまで頂いたギタリストです。
あれ、武仁さん、歌とピアノでしょ? ギタリストじゃないじゃないですか? って聞かれることは余りないですね。実際、ギターなんてほぼ教えてもらったことなんかありません。もちろん人並み程度にはギターも弾けますけどもね。
じゃあなぜ師匠なのか。
そんな話をしていきたいと思います。
動画は師匠が弾くルパン三世のテーマ。
出会いは、実は学生時代。
仲間と連れ立っていったチェーン店の居酒屋さんだったように記憶しています。
バンド演奏が入るってことで、当時既に自分は東京でバンド活動していたので、興味津々。
なんかカッコ悪いデブのひとがボソボソしゃべりながらギター弾いてるんです。
ちょっとギャグ交えて、どっかんどっかん客席が沸いてね。
ちょっと古いフィーリングのギターなんだな、みたいに思って聴いていたんですが。
最後にはアンコール!! アンコール!! と絶叫している自分がおりました。
でもその後、自分は東京に戻り学生をし、やがて東京で働き、Uターンで静岡に戻りましたが、またすぐ東京に赴き仕事をすることになり。
そこから実に十数年の歳月が流れます。
音楽は趣味程度で嗜み、再び故郷に戻ったぼくは真っすぐサラリーマン道を邁進しておりました。
ある日、先輩から「ちょっとお店のホームページ制作を手伝ってやってくれない?」というお誘いがありまして。
そこで赴いた先が文化屋楽器店だったのです。
狭い階段を昇り、ひょいと右を向いたところ、明らかにカタギっぽくないオッサンが不敵な笑みをたたえつつ「いらっしゃ~い!!」と某新婚さんいらっしゃいMCみたいな口調で。
ホームページの話はどこへやら
「鍵盤が弾けるって聞いたけど、ちょうど良かった、キーボードをクビにしたばっかなんだよ、でな、来週本番があるんだけど、ギャラはちゃんと払うからな、うん」
という話から始まり、そこから一挙に怒涛の展開が。
思えば、人生が変わった瞬間だったのかもしれません。
そこから師匠との長い付き合いが始まりました。
真剣な音楽とのブランクもあり、また自分の携わってきた音楽とは思い切り異なるものでもあり、何もかもが違う、そのギャップ。
好きな曲を好きなようにやるだけの気ままな音楽とは異なり、プロフェッショナルとしてお客さんに喜んで頂くためのステージ。決して音楽好きばかりではない、不特定多数のお客さんに対して提供できるように、多様な好みのお客さんに対して最大公約数の音楽を提供するということ。
非常に苦しみました(笑)
なんせ弾けねーわ、アタマに入んねーわで、もーたーいへん笑
師匠にはステージ上で叱られ、演奏中に鍵盤蹴っ飛ばされたこともありましたよ。
とにかく厳しかった。
ただその中でたくさんのことを学びました。
そしてたくさんのことを示唆され、自分の音楽の道の柱となっています。
以前、書いたこともありますね。
「おまえは音楽が好きなんじゃない、音楽をやってる自分が好きなだけだ」
辛辣な言葉ですが、自分の戒めとして心に刻んでいる言葉です。
使う楽器が違おうがなんであろうが、この人は自分の師なのだ、そう心に置いて。
今でも忘れられない瞬間があります。
ある時、静岡の西部よりのホテルで師匠のバンド、テリーズのライブがありました。
ぼくもキーボーディストとして帯同しておりましたので当然同じステージ上でしたが、その日の演奏はとても神がかっているような、そんなとても凄まじいものでした。
お客さんは200人以上は居たでしょうか。
テリーズは集客力も凄まじく、全盛時は2週間ものあいだ連日連夜、ぶっ通しのホテルライブ200人のステージを満席、いやさらに増席するくらいは普通でした。いわゆる表のプロバンドが束になってかかっても敵わないレベル。
そして時間いっぱい。
演奏を終え、客席の真ん中の花道を通り控室に戻る我々に、嵐のような拍手が。
もちろんそれは師匠への感謝の拍手。
自分の拙い演奏など、足を引っ張っていただけに過ぎないのは自分が良く分かっていましたからね(苦笑)
演奏している最中、一緒に演奏している自分が聴き惚れてしまう、そんな次元の演奏なんて、したことありませんでした。
控室で着替えようとしている我々に、司会の女の子が追ってきて「アンコールの声が止まないんですけれど」
ぼくは「アンコール、やんなくていいんですか?」と尋ねました。
師匠は平然とアロハを脱ぎすて
「おー、契約は一時間だからな」
と。
色々な意味を含め、プロかくあるべし、と感じた瞬間でした。
おそらくこんな体験を出来たのは自分が最後の世代なのかもしれません。
趣味も多様化し、また癒しや生涯を賭けて取り組むものもたくさん選択出来るようになりました。
楽器なんて、早くから目覚めプロを目指す才能のある子供達とそうでない子供達の乖離はとても広がってしまいましたね。
NO LIFE,NO MUSICなんてうそぶいてるくせに、本当に真正面から取り組んでいる人たちは少なくなりました。
それは人生の幅が広がったということであり、我が国はとても幸福な時を迎えていることに他なりません。
もちろん、表現への飢餓感や自己表現の手段としてこの道を選択する人たちもちゃんと居ます。
ですが、こんなに日常と音楽が混じり合った空間はもう現出しないのかなあ、と思ってしまう昨今です。
おおらかで、でも厳しく特殊な芸能の道、鷹揚なバンドマンたちの陽気な仕草、弾けるような笑顔、会場に広がる緊張感や開放感、すえたビールの香り、ステーキの良い匂い、ニコニコ顔の黒服、千鳥足の酔客、シャンデリアの黄色い光、カクテル光線。
鉄の琴線がしなり、悲鳴をあげてそれらを分断したり、貫いたり、縛り上げたり。
師の歩いてきた音楽の道。
自分などなぞることすら出来ませんが、心で学んだことを自分の方法で自分とファンの方々に問うていこう、と想いを新たにしています。