慈愛のもとで
こんにちは。暑いですね・・・なんだこりゃです。帰ってきてからのシャワーがたまらなく気持ちがいいです♪最近目にした言葉がありました。『浅き川も深く渡れ』川が浅いからといって油断は禁物である。何事にも注意深く慎重にせよ。調べてみるとこのような意味でしたがこれを表現してくださった方はまた違うものを伝えたかったのではないか・・・そう感じたのでした。私たちは日々の日常、それぞれの解釈で見える世界を見ています。意識しなければ、感じるということなく機械的に物事は過ぎていきます。でも感じると、この見える世界を成り立たせている背景が感じられるようになる。いまここに現れるものの背景を味わいつつ生きることを大切にされておられた方ではないのかな・・・と。この表現についても以前なら見過ごしていたかもしれません。こうやって一つの表現から深みを感じられる。この世界はどのように見えても神さまの慈愛のもと完璧な均等の中で満ちている。それをもう長い間私たち人は忘れてきたのかもしれません。その深いところを感じながら自らの内から出てくるものや、目に映るもの聴こえるものを感じるとそこからその慈愛を感じられる。落ち葉や、虫、空飛ぶ鳥たち・・・全部がかけがえのない、この瞬間に間違いなくその完璧さから生み出された同じひとつながりの仲間たち。表面上分離され、生み出されるストーリーから生み出される喜びも素敵だけどそのすべてのストーリーをも包み込んだひとつに思いを馳せると深いとことからあたたかいものがじんわりと満ちてくるよう・・・深く深く、いまここを味わいゆくことも人だからこそ味わえる恵み。
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