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時々普段食べない物を食べてみる

前に「嫌いな人も、嫌いなものも、1回で決めないで2回試してから本当に嫌いかどうか決めてほしい。」と書いたと思います。1回で決めつけると、誤解だったということもあるので、ちょっと時間をあけて2回目をチャレンジしてみてから何事も決めていいのではないかと思うのです。私はセロリが嫌いです。苦手です。でも、時々食べます。売り場にあると「よしっ!」と思って購入し、嫌いなんだけどなんとかならないかなぁと思いながら食べます。昔は匂いがするだけでもダメでした。今はまだ生では食べられないので、ベーコンと一緒に炒めます。今はそのラインがぎりぎりです。そうやって、ちょっと嫌いなものも体の中に入れておく。それをやって何がいいのか悪いのかわかりませんが、一切無視ではなく、1年に一回くらいお付き合いできる自分がいることを確認しておく感じです。親類付き合いなんかもそうですよね。普段は完全に無視している感じですが、正月だけならなんとかでいいと思うんです。正月もダメという人もいていいと思いますが、葬式くらいなら何とかと言う人がいてもいいと思います。それもダメと言う人もいてもいいと思います。嫌いなものは嫌いという考え方よりは、セロリにほんの少しだけ柔軟になれる自分がいるということを確認したいだけなのです。なんてことない話ですが、そこから何かが少し緩んだりするんです。
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日本人はお金に名前をつけたがる

変わったタイトルだと思いましたか?SNSに「誰かに何かを頼むことができない」という言葉をみかけました。その原因を考えた時、原因としてこの仕組みを思いついたのです。私達は海外諸国に比べて、出ていくお金に名前をつけたがる傾向があります。例えば、結婚のお祝い。葬式の香典。入学祝い。お年玉やちょっとしたプレゼントなどなど・・・どれもちゃんと自分の名前を書いてお渡しします。これについて異論はありません。しかしそこには知らず知らずのうちに「名前を書いて出しているのだから、それに見合ったお返しが自分に帰ってくること」を無意識の間に期待している自分がいます。反面、災害への寄付を始め、路上パフォーマンスなどに対しては、やっている方も多いのですが、その金額はやはり海外に比べてさほど大きくないようです。これは宗教感の違いもあると思いますし、日本人の性質や性格も影響しているように思います。どうでしょうか?一度思い切って万札をどこかに寄付してみませんか?勇気がいりますが、お返しを期待しない善意というものを経験しておくのはいいことだと思っています。それを経験すると、あなたが名前を書いてお渡ししたものに対して、相当するお返しがなくても腹が立つ割合が減るのではないかと思います。お祝いや寄付などの「善意」は、そこに見返りを期待しないというのが基本です。だから本来は名前など書かなくてもいいのです。あなたが誰かに何かをしてあげてもお礼はなくてもいいという気持ちが出てきますし、最初に書いたSNSのように、何かをしてもらってもお礼をしなきゃいけないとストレスに感じるから誰かに何か頼むのが苦手というような、ややこしい考え
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