ほう、そうか~
おはようございます。娘と父親、アイスランドに無事に着き、とてもいいひとときを過ごしているようです。はじめて向き合えたと・・・また4人で食事話も出てるみたいです。昨日表現事は過ぎ去っていく。そしてその過ぎ去るは、自然の働きの中の流れでもあるのでなんらか、新しい形へ形へ、破壊が起きつつ生まれてはまた消えての動きそのものなのだなあと。今どのような罪悪感感じるような状態であってもそれは一時的な自然の中の動きであって過ぎ去るのを見守ればいいのだと・・・そんなところがわかりやすく表現されてる逸話に出合ったのでシェアしますね☆・・・・・「白隠禅師」の逸話白隠禅師の檀家の娘が妊娠して、
父親は白隠禅師だと言ったのです。
娘の父親が怒鳴り込んで来て、白隠禅師に
「お前が父親だそうだな」となじった。
白隠禅師は「ほう、そうか」と答えただけだった。
赤ん坊が生まれると、娘の両親は白隠禅師の元に
連れて来た。
白隠禅師はその赤ん坊を慈しみ、育てた。
一年が経ち、娘は慙愧に萎えられなくなって、
父親は近所の若者だと自白した。
娘の父親は、詫びて「赤ん坊を引き取らせてもらいます」
と告げた。
白隠禅師は「ほう、そうか」と言って、赤ん坊を返した。
・・・・・白隠禅師の態度は、ただ「ほう、そうか」と、流れる水の
ごとく自由です。
そのときのストーリーに入り込んでしまっているともっと複雑に苦しみが生まれたことでしょう。赤ちゃんは慈しんで育てられました。「ほう、そうか」という言葉には、出来事を認めている
訳でもないし、否定している訳でもない。
今ここの様子と一体化されておられる・・・目の前の現象、ストーリーに入り
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