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羨ましいと感じたとき、心が伝えようとしていること

「羨ましいな、いいな」と、自分にないものに目を向けて、 誰かに何を言われたわけでもないのに、心が沈んでしまうことありませんか。今回はある方のお話から“羨ましさ”を感じたときの気持ちの整え方について書いてみたいと思います。コミュニティの合宿の話題で盛り上がるZoom。 半年前からの企画で申し込みはすでに終了しています。 3か月前に入会したばかりのその方は参加は物理的に無理だと分かっていても、 みんなの笑顔がまぶしく感じたそうです。 「いいな、羨ましい」――その言葉しか出てこない。 そんな自分が少し悲しくて、 でも誰かが明るく「楽しんできてねー!」と言うのを聞いた瞬間、 “そうか、そう言えばいいんだ”と思った。 それなのに、なぜかその一言が言えずさらに落ち込んでしまったそうです。 どうしてそんな気持ちになるのでしょう。 ________________________________________ 置いていかれる感覚 その流れに乗れないとき、人は本能的に「自分だけ外にいる」と感じます。 これは「所属欲求」が満たされないときに誰でも感じる自然な寂しさです。 「行けない=仲間じゃない」と思ってしまうのも無理はありません。 ________________________________________ 「羨ましい」の正体 「羨ましい」は、他人の楽しみがまぶしく見えるときに出る、 **自分の“願いのサイン”**でもあります。 「私ももっと関わりたい」「一緒に体験したい」という前向きな気持ちが、 悲しさの裏に隠れているのです。 ______________________________
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(324日目)人のフリ見て我がフリ、フリフリ。

ふと振り返ってみた。夏休みの宿題を例に挙げてみると、自分は「追い込まれないと宿題しないタイプ」と言うこと。なので8月の30〜31日は地獄だった。無論、地獄を呼び寄せたのは自分自身である。今思えば「コンスタントに消化していれば問題なかったのに」と思えるが、当時は自分の自由な時間が最優先事項であった。言ってしまえば『楽しけりゃいいじゃん♪』的ノリだ。とは言え完全にこの問題をクリアしたかと言えばそんなことはない。やはり現在においても、その思考・クセは抜けない。ついラクな方に流される。しかしかつての自分と大きく異なるのは、避けることのできない未来を想像することでこの問題を解消できるようになったと言うこと。例えば目の前に洗濯物があったとする。それを片付けなければならないとして、もし自分がラクな方に流されたとした場合は片付けを後回しにするだろう。ただ、この判断は自分にとっての負荷・ストレスを感じる時間が後にズレただけのこと。結局はやらなきゃならない。そしてその癖が強ければ強いほど、後にのしかかってくる負担はどんどん増大していく。ああ怖い。しかも片付けのことが頭に残っている状態だから、精神衛生上も良くない。『後で片付けなアカンしな〜』と脳裏に焼きついた状態では本当の意味でリラックスはできていないんよね。と言うことは先に片付けてしまって、後顧の憂いを払拭することこそが本当の意味でのリラックスタイムを得ることができる。すなわち自分にとって最も良い判断は『先に片付けてしまう』ことである。・・・。たかだか洗濯物の片付けを仰々しく書いてみたワケですが、日常はこの判断の繰り返しだと言うことを言いたかった
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