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時間が癒してくれるもの✨愛しのニャンズたちへ。

こんにちは、YUSAKOです(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ꕤ*.゚今日は、こちら↓のブログにも登場した我が家の愛猫たちについてのつぶやきです✨実は、年が明けてすぐ、1日の朝に、キジトラくんがお空に旅立ちました🌈昨年末から吐くことがあり、一度、受診し、心配ないと言われましたが、再受診しようと思った矢先でした。4年前に旅立ったサバトラちゃんの時と同じような状況に、嫌な予感はしていました。もともと猫エイズのキャリアで、いつ発症してもおかしくなかったし、一時はFIPを疑われるくらいの数値の項目もあって、余命宣告されたこともありました。うちに来た時から鼻炎がひどく、くしゃみをするたびに鼻水を飛ばしていて、赤ちゃん用の吸入器で吸ってあげることも。でも、最近はそれも治まり、痛がっていた歯周病も抜歯して治まったし、ご飯もモリモリ食べるようになったので、ホントに安心していたんです。それが、30日には食べるご飯の量が減り、また吐く回数も増えたので、少し様子がおかしいと感じ、その日は、私がリビングで一緒に寝て様子見。31日になると、明らかに様子がおかしく、ほとんどご飯を食べなくなり、お水しか口にしなくなりました。このお水を飲むことも、いつもと違うことでした。普段はウェットタイプのご飯なので、一緒に用意はしていますが、ほとんどお水は飲まないんです。キジトラくん自ら、息子の部屋に移動したので、その日の夜は、私も一緒に雑魚寝しました。たまにカーテンの裏に入ってしまうので、溺愛していた息子は、こまめに様子を見ては、お水やちゅーるを口元に持っていったり、寒くないよう、ゆたんぽをあてがったりしてました。その間、いつもと同じよ
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猫のいる生活

先ほど仕事をしていましたら、何やら視線を感じ……、ふと目を上げると我が家の猫がこちらをじっと見ていました。しかも片目で笑「なぁに?」「どうしたの?」と聞いてももちろん何も答えないし、ただただこちらを見つめるのみ。あまりにかわいいので急いで写真を撮りました。その後部屋に入ることもなく、一定時間こちらを見たらどこかに去っていきました。いったい何を考えているのでしょうか!可愛すぎます。我が家は鳥も飼っているので彼女なりに気を遣っているのかもしれません。かも、ですが。前も書いたかもしれませんが、猫は妖精みたいです。美しくて、突然現れ、突然消えます(笑)家の中で会っていても、すれ違ったり、寄ってきたりしてくれると「ラッキー!」と思うのです。エジプトで神と崇められるだけあるなぁ、と。我が家の神にやる気をあやかり、気合を入れて今日も頑張ります!
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悩まなくても、生きていけます

「それって、問題だよね」「いやだよね、ああいうの」──たしかに、そう思えることはあります。でも、ちょっと立ち止まって考えてみませんか?それって、本当に問題なんでしょうか?なぜ嫌だと感じているんでしょう?意外と、自分でもはっきり答えられなかったりします。人って、もっともらしい理由をあとからつけがちです。でも実際は、根っこにあるのは「漠然とした不安」だったり、「こうあるべき」という、よく考えたこともない思い込みだったりします。そして、それに気づかないまま、「悩んでる自分」を日常にしてしまう。でも、本質が見えてくると、それは問題である必要すらなくなっていきます。そもそも、人生はあなたのものです。なのに、「ちゃんとしてる自分」「すごく見える自分」「嫌な思いをするかもしれない自分」そんな外向きの自分ばかりを作ろうとしていませんか?誰かに評価されるために。誰かに認めてもらうために。でも、どれだけ立派な形をつくっても、内側が満たされていなければ、苦しさは消えてくれません。ときには、「誰かが自分を苦しめている」と感じることもあるかもしれません。けれど、その思いにずっと囚われていると、人生は外側を変えるための戦いになってしまいます。そして、それは終わることがありません。あの人の言い方が嫌だ。この環境が合わない。今の状況が苦しい。そうやって外の何かを変えようとし続ける限り、心は落ち着く暇がない。仮に思いどおりになったとしても、次は「それを失う不安」に追われてしまう。でも、安心してください。悩まなくても、生きていけるんです。そんなにがんばらなくても。そんなにすごくなくても。何か特別なことをしなくても
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癒しが支配に変わるとき

――相互依存と、支え誰かを癒したい。その気持ちは、とても優しいものです。けれどその想いが、気づかぬうちに「支配」にすり替わってしまうことがあるのを、知っていますか?自立と、一時的な寄りかかり人は本来、自分で自分を癒す力を持っています。内なる闇を知り、そこから光を取り戻す力を――。でも、長い人生でその力を一時的に失う時期もあります。「もう無理かもしれない」「このまま消えてしまいたい」そんなふうに、内なる炎が消えかけるとき。差し出された手や、優しい言葉が命綱になることもあります。その支えが、必要なときはたしかにあるのです。けど、支えが“ずっと”必要なわけじゃない本当に相手のことを想うなら、その支えは「一時的であること」を前提に差し出されるべきです。たとえば夜のあいだに灯る小さな灯り。夜が明けたら、そっと消える。光が戻ったあなたの歩みを、邪魔しないように。けれど現実には――その支えが、いつのまにか「依存」や「ビジネス」にすり替わっていることがあります。「あなたはまだ癒されていない」「もっと学べば、もっと浄化される」「次の講座で、さらに高次に到達できる」そうして癒しは、誰かの力を借りないと終わらないように変わっていきます。いつまでも「癒される側」でいることを求められ、立ち上がるタイミングを奪われていくのです。弱った心に、優しく忍び寄るもの心が疲弊しているとき、人は見分けがつかなくなります。それが本当に自分のための道なのか、それとも誰かの都合なのか。「この人だけが分かってくれる」「この場所だけが安心できる」そんなふうに感じたときこそ、少し立ち止まってみてください。それは、かつての親子関係
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常識をアップデート

古い設計図で生きていくのか、新しい設計図で生きるのか「でも、それは誰が書いた設計図?」「アップデート」と聞くと、パソコンやスマホでよく聞きます。昔、PCを開いたら勝手にアップデートが始まり、大事な資料がフリーズしてしまった…個人的に苦い経験があります。今回の話はOSではなくて、自分の常識をアップデートする?しない?の話です。世界は少しずつ仕様変更されてきた今も、世界は変わってきています。アメリカ一極の時代は終わり、各国が独自に関係を結び、複数の軸で動く「多極化」の時代へ。NATOやイスラエルの力の衰退、ロシアや中東諸国の再台頭。バチカン、ロンドン、ワシントンといった「西側」が正しかった構造も、今や崩れつつあります。常識だと思っていたのもが、ただ過去の正解だったことも多くあるものです。なのに、自分たちの思考は古いOSのまま・・・ということが多く感じられます。あなたが今信じていることは、明日も信じて大丈夫ですか?「今も有効な常識」だと思っているそれは、本当に“あなたが書いた設計図”ですか?■ 科学も教育も“再定義”のタイミング科学の分野でも同じことが起きています。権威のある学会が「これは正しい」と言えば、それが“真実”になる。でも、「正しい」の前に、“誰にとって”をつけてみてください。事実かどうかは関係ないのは、科学ではないと思います。今、本当の科学とは「既存の枠組みにしがみつかず、現実を観察し、問い直す力」と、再び定義されつつあるのです。教育も同じことだと考えます。そもそも「正しい教育」とは、誰のためでしょう。国のためなのか、大人のためなのか、本人のためなのか。個人的には、教育と
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ダンドリって忘れがち(-_-;)

こんにちは。カラフルマインドデザイナーのあや☆彡です。今日の猫は、シンとミユです。この2匹は、毎日、運動会を繰り広げておりますが、昨日、事件が起こりました・・・(-_-;)ミユが、2階の階段の手すりから1階まで落ちたらしく、元気がないのです。打合せ中に物が落ちる音がし、その後、ミユがずっと泣きわめいているので、何かあったのかなぁとは思っていました。打合せが終わって、「ミユ!いたずらしたのかぁ」と階段を下りていくと、どうやらミユが落ちた音だったらしく、そのあとは、足を引きづってヨタヨタと歩いておりました。昨日、今日と運動会は行われず、ずっと、寝ているミユです。けがは、骨折などはないので大丈夫ε-(´∀`*)ホッダンドリは重要私は、直感で動くことが多いですが、仕事はある程度、自分の頭やメモなどを使って、ダンドリをイメージしてからするようにしています。しかし、最近、これが難しい時があります。要求が、立て続けにきて議論ができない状況だったり、一方的だったりすると、要求に注力してしまい俯瞰することができなくなります。自分のペースを乱されることで、この状況は発生していると思っています。相手に悪く思われないようにとか、考えてしまう昔の性質が残っているのかもしれないです。でも、人にどう思われようと自分の芯・考えをしっかりと維持し続けることは重要ですね。これも、人に話すと理解できて解決できるんです。詳しいことはメッセージを頂ければと思います☆彡★本日の猫ミユとシンが仲良く寝ています。実は、ミユが元気がなく遊んでくれないのでシンは拗ねているんですw
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猫との楽しい日々

画像は今うちで飼っている猫です。自宅の前で交通事故にあったことを機に、うちの子になりました。猫を飼ったのは初めてなんですけど、こんなに猫ってかわいいんだ~!という印象です(笑)うちの子は顔が真ん丸で、手足が短く、尻尾は鍵しっぽでコロコロしています。賢くて、一日目からトイレを覚えたし、話しかけると返事をするし、近づくとすぐにコロンと寝ころぶし、甘えた声が本当に甘いし、顔がうっとりするほど美しいし、いちいち動作がおもしろいし。言い出したらキリがありません……。しかもいつもどこかに隠れていて、たまに姿を現すので、なんだかプレミア感……。(犬はいつも一緒! っていう感じで、それはそれでかわいいです)動物を飼いたいと思っている方、猫ちゃんもおすすめですよ!とはいえ、今までいろいろな動物を飼ってきましたが、どの動物も本当に美しいですよね。どの子もどの子も本当にきれいでかわいいなぁ、と、いつも感動していたことを思い出します。動物はいいですね。数秒前にプンスカ怒っていたことを忘れることもたくさんありました。こちらが何か与えるより、与えられることが多く、ありがたく思っています。これからもたくさん可愛がりながら、お世話させて頂きたいと思っています(笑)
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相手を観てない自分が、人間関係を難しくする

伝えるのは、むずかしいことです。基本的には、人に気を遣いすぎる必要なんてありません。けれど、現実には「そうもいかない場面」がたくさんある。ちょっとした一言で空気が変わってしまったり、何も言わないことで「冷たい人」と思われたり。そんな経験を経て、つい考えすぎてしまうのです。「どう言えば、ちゃんと伝わるだろう」「きつくならないようにしたい…でも、言わないわけにもいかない」「そもそも、言っていいのかな?」悩みながらも、勇気を出して言葉にしてみる。なのに──誤解されて、また考える。気を使ったつもりが、逆に疑われる。黙っていたら「無関心」だと取られる。……あれこれ考えて動いたはずなのに、うまくいかない。そんな経験、きっと誰にでもあるはずです。■ 言葉の裏にある“見えない前提”たとえば、相手が何かを隠していたとします。こちらは知らずに、善意でアドバイスをした。しかも、それがたまたま相手の「核心」に触れてしまったとしたら──「見抜かれた」と思われてしまうかもしれません。さらに、その話がどこかで漏れたら、「あいつが話したんじゃないか?」と疑われる可能性すらある。つまり、「知らなかった」ことすら責任になることがある。人間関係は、そういう構造を含んでいます。実際に起きたかどうかではなく、その“可能性”だけで気疲れしてしまうのです。■ 善意すら、地雷になるたとえば──・相手のミスをやんわり指摘 →「責められた」と受け取られる・成功について一言 →「成果を奪おうとしてる?」と勘ぐられる・無理してる人に「休んでいいよ」 →「今さらやめられない」と反発される・尊敬する人の話を出す →「皮肉か?」と思われる
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言葉の重さと思考の厚みと深さ

どうして記憶に残る言葉と、消える言葉があるのでしょうか。知識が多いとか、語彙が豊かだからといって、記憶に残る言葉が出てくるわけでもない。その違いを分けるひとつの要因は、どれだけ自分と対話を続けてきたかにあります。言葉には「厚み」と「深さ」がある。自分との対話量、他者との対話量。どちらも足りない言葉は、軽く浅く感じられるものです。自分の意見を疑うことができないのは成長の機会を自ら手放しています。「本当にそうか?」と何度も反論を差し込む。自分の意見に反論してみる。その過程が、言葉の厚みつくっていきます。薄い言葉は、反論を受けていない。「〜に違いない」「〜すべきだ」——内に閉じている、何かを怖がっている。厚い言葉は、多くの経験から怖がる必要がないことを知っている。「今の時点では」「例外もあるが」「それでも私はこう思う」——留保を含んだ今の断言には、誠実さを感じるでしょう。深い思考は、自分の正しさと思い込みを削りながら、残った芯から生まれるものです。 浅い理解と深い理解を考察してみる他人の意見を聞いても、それをそのまま信じるのは理解じゃないですよね。聞いてわかってもわからなくても、一度自分の中で構造を組み替えてみる。「なるほど」から「なぜそう考えるのか」に進み、その論理を一度、自分の文脈で再生してみる。ここから他人の思考が自分の理解へと変わってきます。聞いた言葉をそのまま返さない。自分を通して変質させて返す。それが対話の醍醐味であり、思考の再構成だと考えます。 偏見は、視点を深く掘るために使う偏見を消すのではなく、それはあくまであなたの仮説です。たとえば、「妻の卵焼きが世界一うまい」こ
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幸せは外にない──意識から考える

最近、「意識の変容」や「新しい時代の到来」といったテーマが、精神世界や自己探求の世界で語られることが増えてきました。アセンションや波動といった言葉に象徴されるように、人間の在り方や価値観が、従来とは異なる方向へと変化してきているのかもしれません。とはいえ、「進化」や「成長」といった言葉に惹かれてしまう感覚は、自分がどこかで「今の自分はまだ足りていない」と信じているからなのかもしれません。何かが欠けているから、それを埋めに行く旅の途中にいるみたいに。外に「正解」があるという前提私たちの多くは、「正解は自分の外側にある」という前提の中で育ち、生きてきました。模範解答を探すために勉強する成功者のやり方に倣う認められるような“正しい人”になろうとするこうした姿勢は、科学や制度の領域では確かに成果を上げてきました。けれども、「どう生きるか」や「どう在りたいか」という、もっと内面的な問いにおいては、この正解探しはどこか噛み合わなくなってきているように思います。本来、「生き方」に明確な正解などあるのでしょうか?ないよと言われても、外にある模範を探し続けてしまう。まるで「正しい答え」がどこかに隠されていて、それを探すために巨大な迷路に放り込まれているかのようです。壁には、先人が残したヒントや矢印が描かれていて、それをたどっていれば安心な気がする。でもいつしか、その迷路を抜け出すためではなく、「矢印通りに進むこと」そのものが目的になってしまうのです。誰しも「幸せになりたい」と願います。収入が増えたら人間関係が改善されたら健康になったらけれど、それらはすべて“条件付き”の幸せです。もしその条件が崩
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🌸今日のもふっとひとこと~6月28日号~🌸

元気が出ない?それ、たぶん“もふ成分”不足にゃ!至急ネコ補給をおすすめするにゃん😺💕
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曖昧を許せる在り方

答えを欲しい時などに、誰かが言葉を濁して、「この人、はっきり言わないな」と感じて、少しイライラすることはないですか。はっきり言わない=はっきり言えない優柔不断と言ってしまうのは簡単です。でもそれは、誠実さの裏返しであることもあります。曖昧にとどまれるのは、簡単じゃない心理学には「曖昧さへの耐性(Ambiguity Tolerance)」という概念があります。これは、白黒つかない状況や答えの出ない問いに、どれだけ落ち着いて向き合えるかという心の力。この耐性が高い人は──・多様な意見を受け入れられる・結論を急がず、複雑な現実をそのまま見ようとする・正解のない問題に対して、深く考え続けることができるつまり、曖昧な態度=優柔不断ではなく、まだ答えを出せないことへの誠実さなのです。「言えない」ではなく「あえて言わない」はっきりしない人に対して、「自信がないのか」「ごまかしてるのでは?」と疑いたくなる気持ちが起こることもあると思います。でも、もしかしたら、「自分の言葉が誰かを傷つけてしまうかもしれない」「正しいことでも、今は伝えるタイミングではない」といった視点で見ているのかもしれません。つまり、「言えない・言わない」のではなく、「言えるけど、あえて言わない」という選択。深く知るほど曖昧さが生まれる心理学では、物事を多面的に捉える力を「認知的複雑性(Cognitive Complexity)」と呼びます。この力が高い人は、・善と悪を単純に分けない・矛盾する視点も同時に保てる・相手の立場や背景を想像することができるそういう人ほど、言葉に慎重になります。だからこそ、「あの人は曖昧だ」と見えるこ
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良い感情という幻想

たとえば、緑茶紅茶コーヒーハーブティー目の前にこの4つが並んでいるとします。この中で、どれが一番優れていて、どれが一番正しくて、どれが一番理想的で、どれを人におすすめしたくて、どれが一番劣っていて、どれが「良くて」、どれが「ダメ」だと思いますか?きっと、答えは人によってバラバラでしょう。なぜなら、それは単なる「好み」の問題だから。ただのバリエーションとも言えます。優劣ではなく、個性の違い。同じ紅茶でも、銘柄が違えば評価も変わるでしょう。では、感情はどうでしょう?「喜怒哀楽」どの感情が優れている、ということもなければ、どれが劣っている、ということもありません。すべては、感情という存在のバリエーションです。けど現代では、「明るい性格は良くて、暗い性格は悪い」「積極的なのが正解で、消極的なのはダメ」そんな空気が、知らず知らずのうちに刷り込まれてきました。社会でうまく生きるために“都合のよい感情”だけが「正解」にされ、それ以外は、厄介なものとして避けられてきたのです。「怒り」や「哀しみ」はどうでしょうか?今の世の中では、「喜」や「楽」がもてはやされ、「怒」や「哀」は避けられがちです。時には、悪者扱いすらされる。でも本来、怒りは「自分の境界線を守る力」哀しみは「大切なものを認識するプロセス」感情には、どれもちゃんと役割があるんです。だから──怒ってもいい。堂々と、しっかり怒っていい。悲しければ、思いきり泣いていい。でも、私たちの心のどこかには、こんな声が住みついていませんか?「怒るのはよくないこと」「泣くなんてみっともない」そんな思い込みがあると、何が起きるか?● 健全に怒れない● 素直
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🌸今日のもふっとひとこと~7月1日号~🌸

足りないものばかり気にしてたにゃ。 でも、すでにある“しあわせ”も、ここにあったにゃん。 🌱もふっと解説 つい「もっとこうなりたい」「まだ足りない」って思ってしまうけど、 実は“もうあるもの”にもちゃんと目を向けてあげたら、 ふわっと心が軽くなることもあるにゃ🍀
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心の処方箋はいくつもある

──「ひとつの正解」しか提示しない人に、違和感を覚えたことは?たとえば、こんな医者がいたらどう感じますか?「症状が良くならないのに、薬を変えて様子を見ましょう、と言うだけ」「セカンドオピニオンを頼んだら、不機嫌になった」「どんな患者にも、毎回同じ薬を処方する」それがどんなに名医でも、あなたは本当に安心して任せられるでしょうか?多くの人が求めているのは、症状や背景に応じて複数の選択肢を提示してくれる医者ではないでしょうか。症状が改善されなければ、自分の見立てが間違っていたと認める医者ではないですか。「寄り添う」だけでなく、「ちゃんと診てくれる」存在。その話は、心の癒しや心のケアにも通じているのです。 苦しみを癒すアプローチは、ひとつじゃない「自分の苦しみをどう癒すか?」これは、現代人に限らず、時代を超えて人が抱える共通のテーマです。今回は、まったくアプローチが違うようでいて、実はほぼ同じ地点を目指している二つの道をご紹介します。認知行動療法(CBT)スピリチュアルな教え(非二元・瞑想・マインドフルネスなど)それぞれ、どんな方法なのか? CBTは「思考で思考を整える」ロジカルな方法認知行動療法は、心に浮かぶ“自動思考”を言語化し、それは事実に基づいているか?それは役に立っているか?を一つひとつ丁寧に検証していきます。たとえば、「どうせ私なんて」「失敗したら終わり」「人に迷惑をかけてはいけない」こうした極端な思い込みや思考の歪みを見つけ、現実的で柔らかい視点に置き換えることで、感情や行動を整えていく。頭の中で暴走する“物語”を見直すことで、心のスペースを作っていく。そんな「論理による
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いったん落ち着こう

「もっと欲しい」「こうなってほしい」「あれは嫌だ」多くの人は、日々こうした思いに突き動かされています。それは一種の衝動であり、仏教では「煩悩」と呼ばれています。けど、よく言われる「煩悩を手放しましょう」の前に、そもそも――なぜ、煩悩は湧くのでしょうか?答えが多いからなのか、そこはあまり語られていない気がします。煩悩が湧くのは、不安があるからひとつの答えは、「不安」があるからです。「足りないかもしれない」「失ってしまうかもしれない」「誰にも必要とされていないのではないか」こうした見えない不安が、心の奥で叫んでいる。表面に現れた形が、煩悩だと思います。たとえば──誰かに愛されたいと願う裏には、「愛されていないかもしれない」という不安がある。お金がもっと欲しいという思いの裏には、「足りなくなるかもしれない」という恐怖がある。認められたいという想いの裏には、「自分には価値がないのではないか」という疑念がある。煩悩は、満たされていないという感覚の現れであって、決して「悪いもの」ではありません。むしろ、自分を知る手がかりになります。なぜ人は、不安を抱くのか?心理学的に説明するとすれば、私たちの“思考そのもの”が、不安を生むようにできているとも言えます。脳は「生存」のために進化してきた器官です。つまり、「足りていないかもしれない」と仮定し、リスクを回避しようとする構造を持っている。この「欠如前提の認知」が、常にどこかに不安を生み出します。それは一種の機能であり、防衛本能です。だからこそ、私たちは“十分に満たされている”ときですら、どこか物足りなさを感じることがあるのです。でも、こんな説明聞い
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甘えんぼにゃんことタロットの日々

はじめまして。にゃんこ占い師・星灯 紗空(ほしあかり さく)と申します。猫とタロットの小さな世界へ、ようこそお越しくださいました。今日は、にゃんこ占いの“モデル”でもある、私の大切な猫たちについてお話します。私は地域猫のごはん係をしており、むぎちゃん、しまちゃん、はるちゃん、みんちゃんと出会ったのは、ちょうど昨年の初夏のことでした。しばらく会えない日もあったけれど、今では毎日会いに行って、なでたり、甘えられたりする日々が続いています。私が落ち込んでいた時、元気が出ない日も、にゃんこたちは変わらぬかわいさで寄り添ってくれて、癒してくれて、支えてくれました。本当に、出会えてよかったと心から思っています。だからこそ——この子たちのかわいさと、やさしい癒しを、占いという形で誰かに届けられたらと思い、「にゃんこ占い」をはじめました。・気になる方の気持ちを知りたい時・恋愛や人間関係の相性を知りたい時・癒されたい時や、背中をそっと押してほしい時——そんな時、ふと立ち寄ってもらえたらうれしいです。にゃんこたちの写真つきのメニューもご用意していますよ。タロットとの出会いや、占いのことはまた次回に。ここまで読んでくださって、ありがとうございました。またお会いしましょう。
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