良い感情という幻想

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たとえば、

緑茶

紅茶

コーヒー

ハーブティー



目の前にこの4つが並んでいるとします。



この中で、



どれが一番優れていて、

どれが一番正しくて、

どれが一番理想的で、

どれを人におすすめしたくて、

どれが一番劣っていて、

どれが「良くて」、どれが「ダメ」だと思いますか?



きっと、答えは人によってバラバラでしょう。

なぜなら、それは単なる「好み」の問題だから。



ただのバリエーションとも言えます。

優劣ではなく、個性の違い。



同じ紅茶でも、銘柄が違えば評価も変わるでしょう。



では、感情はどうでしょう?



「喜怒哀楽」



どの感情が優れている、ということもなければ、

どれが劣っている、ということもありません。



すべては、感情という存在のバリエーションです。



けど現代では、

「明るい性格は良くて、暗い性格は悪い」

「積極的なのが正解で、消極的なのはダメ」



そんな空気が、知らず知らずのうちに刷り込まれてきました。



社会でうまく生きるために“都合のよい感情”だけが「正解」にされ、

それ以外は、厄介なものとして避けられてきたのです。



「怒り」や「哀しみ」はどうでしょうか?



今の世の中では、「喜」や「楽」がもてはやされ、

「怒」や「哀」は避けられがちです。

時には、悪者扱いすらされる。



でも本来、怒りは「自分の境界線を守る力」

哀しみは「大切なものを認識するプロセス」

感情には、どれもちゃんと役割があるんです。



だから──



怒ってもいい。堂々と、しっかり怒っていい。

悲しければ、思いきり泣いていい。



でも、私たちの心のどこかには、こんな声が住みついていませんか?



「怒るのはよくないこと」

「泣くなんてみっともない」



そんな思い込みがあると、何が起きるか?



● 健全に怒れない

● 素直に悲しめない



怒ることや泣くことに、後ろめたさや罪悪感があるから、

思いきってそれらを味わうことができなくなる。



そうなると、怒りは歪んで爆発したり、陰湿なものになったりするし、

悲しみは、あとを引く重く湿ったものになってしまう。



それは、ものすごくもったいないことだと思います。



だからこそ、

感情に「正しさ」を求めないことが必要です。



まずは、自分の感情をただ素直に知ること。



それだけで、始まるものがあります。
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