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今日は命日

今日、3月7日は、12年前に亡くなった父の命日。その当時は、両親は別居していて、前日母と父の様子を見に行き、顔が浮腫み、以前から患っていた心疾患が悪化している感じで、「病院に行こう!」と説得を試みる私に父は頑なに拒否。口喧嘩になり「明日病院に連れて行くから!」と言って父の家を後にしたのが父との最後に交わした言葉でした。次の夕方、お隣宅より、「暗くなったのに家の電気つかないんだけど大丈夫かな」と心配して母に電話をかけてきてくれました。出先にいた姉に電話して、帰り際に見に寄ってくれることに。そしたら「お父さんが死んでる」と姉より。駆けつけると、すでに冷たくなっていて。幸い、ベットで寝ながら亡くなっている姿に少しホットしました。それからは、まるで2時間ドラマのサスペンスのようでした。(^_^.)救急隊と警察が来て。死亡が分かった途端に、警察の事件性の有無を判断するのに事情聴取やら検視の医師の検案の立ち合い。訃報の知らせを聞いたご近所の方々も急死に驚いていました。自宅で亡くなると、こんな手順になるんだ!!と実感しました。数日後に起きた東日本大震災の影響もあり、死後の手続きも難航し大変な思いをしました。そんな経験もあり、その後の1年半後に母をガンで自宅で看取った時も、自分が喪主になるのも分かっていたし余命が告げられた時点で、母にはどうしたいか?と折を見て話し合い、内緒で葬儀の事など粛々と学び準備していました。この体験をシェアしたく☆彡◇親やご家族、大切な方を亡くされるの明日突然やってくるかもしれません◇いざと言うときになったら、その時に葬儀や治療のこと話せばいいやと 思っていると、なかな
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スネ齧れなくなった?RYU

親父が死にました。親戚の「死」は良く見ていたのですが。流石に血を分けた父親が死ぬとは衝撃です。ま、そんな事より、スネかじりでき無くなったのは痛いですね。買いたいものも買えないし、遊びに行くのも行けないし(遊び場もほとんどないしw)ココナラだって利用できないwん?金がないなら働けって?その辺は過去のブログを参照。でもまった~り楽しんでますよ、生きてりゃ楽しい事だって有るし・・・でも年食って彼女出来るのかな?ソコが不安。
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大切な人を亡くすということ

夏野菜の時期になりました。 毎日横の川からお水をいただいて畑に撒いています。これなにげに便利。住宅地育ちの私が、自然とうまく付き合う夫と結婚して初めて知ったことはたくさんあります。横に川があろうと真夏の水を吸いまくるキュウリのためボケーっと水道からじょうろに水を汲んでいた私でしたが、ここ数年やっと”自然に生かしてもらう”畑の人間らしくなってきました。 畑仕事が大好きだった父の遺品。遺品って言っても、「使える!?」とひらめいて実家から持ってきただけですけどね。 手先が器用な技術の人で、真面目で、曲がったことは大嫌い。人付き合いはあまり得意でなかった父。生まれもちょっと苦労があり、人生を通して家族機能についてあまり恵まれた方ではなかったし、一般的な年齢よりちょっと早めに認知症になったそれが人生。 しかし、私にとっては、なぜか心の支えであった父。 おおっと。ちょっと涙がでますね。大切な人を亡くすことは人生の大きなストレスなんです。配偶者の死がストレス度1位で、親の死は5位の「近親者の死亡」ってことに該当するのかな。1968年アメリカの精神科医に発表された表によると。 私も年を重ね色々物事を考えられるようになって、自分に大きな影響を与えてくれた人3人を亡くしています。最近思います。年を重ねるとはこういうことを受け入れて、そこも含めての自分を作っていくことかと。 この季節、この杓を使いだすと水やりしながら毎日父を思い出す。 ありがとう。私は元気、あれからの幸せなとこいっぱい見せてあげたかったなぁ。 ちなみに認知症の分類は6つお見知りおきを ◇アルツハイマー型認知症 ◇血管性認知症 ◇レビ
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亡くなった母にシャンプー

両親の相次いだ死から2年が過ぎて、やっと少しずつ書けそうかなと思います。ここへ来て逆に言葉にする事によって自分も救われていくような気もします。今日は母の死の直後、母の洗髪をしたことについて書きたいと思います。在宅介護していた母が息を引き取ったのは夜中でした。何かあったらすぐに連絡するように言われていた担当の看護師さんに電話を入れましたが、朝になったら行くとのことでした。朝まで息の無くなった母とどう過ごしていたのか・・いくら考えても思い出せなくて不思議です。私は母の遺体の脇でいつものように眠ったのか?眠らないで何をしていたのか?朝まで悲しみにくれて泣いていた覚えもありませんが、じゃあ何をしていたのか?まったく思い出せないのです。朝になって看護師さんと担当医師が来て下さいました。そこで初めて臨終宣言をしてもらいましたので、母の死亡時刻はその朝の時間となりました。そういうものなんですね。その後、看護師さんから「お母さん、シャンプーしてあげましょうか?」と言われ正直驚きました。母は意識がなくなる前、シャンプーしたがっていたのですが予定すると具合が悪くなったり何だりで結局シャンプーできぬまま意識もなくなり、そのまま亡くなるという結果になってしまいました。でも私は実際、その時点で心身ともにかなり疲弊しており、とてもそんな気持ちになれなかった。ただ、「いえ結構です」とも言えなかった。なので看護師さんと共に亡くなった母にシャンプーをする事になりました。看護師さんの指示で大きなゴミ袋を用意し、それを母の肩の下に入れました。息を引き取って一晩経っていましたが母の体はまだ柔らかく、深く眠ったまま持ち
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父の命日 2回目

12月8日(日) 父の2回目の命日が過ぎました。とても辛かった。誰にも言わないけど。何気ない一日のフリをしたけど。お墓参りだけはしました。朝から何故か体調が悪く、いつもの二日酔いかなとパワーをふりしぼって出かけたけど本当に辛かった。何も感じないようにただただ一日を終わらせた。まず12月に入った途端、一度は上がっていたはずの波動がめっちゃ低くなりもうとことん下がる一方でどうしようもないです。夕方になるとまわってくる石油屋さんの車が流す音楽と、この季節の匂いと温度と暗さとか、すべてがあの時を思い出させてくれます。石油がなくなるととても心配して、私が何をしていても走ってでも買いに行かせた母。ため息つきながら石油屋さんの車を追いかけて行った。石油屋さんと他愛ない話をするのもある意味息抜きになった。嫌というほど石油はあるのに、心配して買う母が悲しかった。母が死んだ後も、玄関に残った石油が悲しかった。あの音楽はもう聞きたくないけど仕方ない。2年経っても、父が急に亡くなったあの日のことはちゃんと思い出すことができない。まだできないのはおかしいのかな。弟はどう思ってるのかな。墓参りにも来ない。夏の終わりくらいから、あんなに調子よかったのにまた落ちてしまった。大丈夫かな私。大丈夫じゃなくてもいいんだけどでもやっぱり辛いな。調子の良いときにいろんなことを計画したりしてしまったので今の私にはとても重くて辛いのです。月末になって母の命日が過ぎたら少しは楽になるのでしょうか。もう冬なんてこなくていいのに。
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悲しみの始まり。父の急変 緊急入院

この日は実家の階段に手すりをつけるための業者さんが朝から来る予定でしたが土曜日で孫の小学校で展覧会が行われたので見に行きたくて弟に実家の方を頼み、朝から小学校で気分転換をしていました。いつものごとく、母から電話があり、なんだか業者さんが来てるけどわからないと。もちろん事前に説明はしていたのですがすっかり忘れているのです。弟も約束通りの時間には来なかったらしく母はパニックを起こしていました。私は弟に腹を立てつつ、まぁ仕方ないやと展覧会を楽しみ、終わったらすぐに実家に駆けつけました。ちょうど手すりの工事が終わり、業者さんが帰る準備をしていたので玄関のあたりで話をしていました。弟ももう到着していました。そこへ買い物に行っていた父が戻りましたが、めずらしく開口一番に「なんだか頭がボーッとするんだよ」と言いました。普段は自分の体調の事などめったに口にしないので、なんだか嫌な予感がして父に注目していると一度見にいったポストをまた見に行ったり私が荷物を持つよと言うと、いつもなら大丈夫だよと強がるのにすんなり引き渡したりと、やっぱり少し変だなと感じました。業者さんが帰り、家の中に入ったあとも、買ってきた物を冷蔵庫にしまうのですがそのしまい方があまりにも乱暴で、めちゃくちゃで、いつもの父の行動とはかけ離れたものでした。嫌な予感がいっぱいで心臓がドキドキしました。それでも嫌な予感は当たって欲しくなく、まだ様子を見ていました。昼になりカップラーメンを作ろうとするのですが、手元は震えなんだか落ち着きが無くて危なかっかしくて見ていられない感じでした。テーブルまでラーメンを運ぶのもやっとでお湯をこぼし「ち
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