亡くなったその日...

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コラム
...父が亡くなるその日は、とてもお天気がよく清々しい日でした。
親戚一同が集まり、総勢20人は来ていたと思います。
緩和病棟だったので、そのあたりについては、寛大だったと思います。
父は、亡くなる数日前から、意識が朦朧としていました。食事も水も絶っていたので、尿も茶褐色で少量しか出ていませんでした。
しかし、父はとても穏やかな顔をしていました。
亡くなる数日前に、少しだけ会話ができた時に、母にこう話したようです。
「俺は、病気に勝った!ガンに勝ったんだ!」と...
私は思いました。
人がこの世を去るとき、きっととても心地が良くなるのだろう...と。
もう、十分頑張った!だから、もう楽になっていいよ。
そんな気がしました。
父は、亡くなるその日、とても穏やかで安らかに永眠しました。
本当に穏やかでした。
悲しみというより、私はその「穏やかさ」に安堵したことを覚えています。
人の最後は、色々な形があります。
交通事故で一人で亡くなる方。
父のように、沢山の人に会って亡くなる方。
自ら命を絶つ方。
それぞれの命の最後があります。
悲しみや苦しみは、亡くなるその方よりも
残された方が感じる感情なのでしょう。
その経験をしている人が、死を恐れてしまうのでしょう。
亡くなるということは、絶対に避けられない道です。
むしろ、自然の現象です。
苦しみの向こう側は
確実に安堵が待っている。
何も怖くなる必要はないと思えることに、感謝しかありません。
父は、私に「生きる」ということを、全部教えてくれたんだと思いっています。
父との思いでは、思い出しません。
単純に、切なくなるからです。
笑顔を思い出すと、とても悲しくなります。
単純に会いたいのに、会えない悲しみです。
そして、もっとこの世を楽しみたかっただろうな。っと思ってしまうのです。早すぎだよ...って。
こうやって、記事にしていると
とても他人事で冷静になれます。
癌患者の家族が抱える悲しみが癒えるには、沢山の時間が必要かもしれません。
自分がもっとしてあげられることはないか
自分がもっと苦しみを癒してあげられるのでは?
そうやって、自分を責めてしまうでしょう
でも、患者さんは意外と苦痛の中から、現実逃避をしていられるのです。
その周りにいる家族が、とても辛い思いをしているのかもしれません。
患者さんのケアはされているけど、ご家族のケアは、意外とできていないものです。
私は、その後、体調を大きく崩しました。
そして、私の家族をとても心配させてしまいました。
これは、本末転倒です。
一つ言えることは、今をしっかり「生きる」ことが、何よりも重要で、何よりも救いになると思います。
過去にいてはいけない
過去を忘れるべきです
それよりも、今を一生懸命に生きることが
この世を去るその日まで、今を生きることです。
それが、本当の愛だと信じます。
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