父の心の中は...

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コラム
あの日以来
私は父の電話に出ないことが増えました。
その頃、母に父の事を相談したのですが...
「お父さんの助けが今のお前なんだから、ちょっと寄り添ってあげてもらえると助かる...」といって、見放された気分でした。
両親ってなんなんだろう....
父の場合、ストレスからくるせん妄ということは、何となくわかっていました。幻覚や妄想がひどくなり、常にパニックになるような感じでした。
母はそんな父の変化を、直視することができなかったんだと思います。
だから、弱音が吐けなかったし、誰かに頼れる人もいなかった。
でも、病を患うってこういうことなんだなって思いました。
人の死は、必ず訪れるものです。
でも、こんな風になるなんて思ってもみなかったです。
父の弱さを、目の当たりにして
本当に絶望を感じていました。
でも、死とはこういうことなんだ!っと、悟りました。
それと同時に、父の心の中が
寂しくて苦しい悲しいものに覆われていることに気が付きました。
せん妄が出ている最中、父はいつも誰かに怯えていました。
「キツネが俺を見ている」
「家長は俺だ!絶対に逆らうんじゃない!俺が絶対なんだ!」
などと、怒鳴ったり、暴れたりしました。
家にいると、自力で立つこともできなくなってしまったので、父は入院をしました。入院手続きで病室を空けるだけで、父は大声で母や私を呼び叫びました。俺を置いていくのか!!と、ひどく怒りました。
2~3日は、看護師さんも優しく接してくれましたが、どんどん暴れる父を、病院は危険人物として見なし、腕や足を縛るようになりました。
その姿を見るのは、本当に辛かったです。
しかし、ベットから転倒したり、ものを投げたりする危険性もあったため、仕方ない...という判断をされてしまいました。
私は、遠方に住んでいたのですが、それでも1週間に1回は訪問していました。母が付きっ切りだったので、とても心配で、週1で通えるように、主人にも相談して、やりくりしていました。
人が亡くなるって、こんなに変化してしまうのか...
毎日が地獄のようでした。
娘がまだ幼くて、沢山一緒にいてあげられる時期だったのに、父の事で全く記憶がありません。どうやって、生活していたのか、本当に記憶が飛んでいます。
それでも、子供たちはすくすく育ってくれています。それは、本当に感謝しかないし、その頃、何も言わずにずっと寄り添ってくれた主人には...感謝しかありません。一生かけてもこの恩を返していきたいくらい、感謝しかありません。
辛く悲しい時期ではありましたが、私は、本当に家族に救われていました。
子供と主人がいなければ、私は、きっと今のように、希望を持って生きては来れなかったと思います。
父の事を、恨んだ時期もありました。
しかし、父の心の中を探ってみたら
仕方なかったんだと、今は思えます。
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