イコンとリスカ 神示と妄想 瞑想と魔境

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 ファティマの予言を受けてからローマカトリックでは本当か嘘かの審査が行われたように神示の判定は時間がかかるほかに、気違いの妄言か崇高な言葉か凡人では判断しがたい。
 2010年私はある女性から占いでリスカしていると言われたけれど絶対自分ではやっていないという相談を受けた。それまで私は手相を拝見と言いつつ、左手を拝見してリスカの後を見ることにしていた。たいてい恋愛だけにかける女の人とか、経営におい詰められた無能な経営者は、過去に躓くとリスカしていて死にきれなくて跡が残っている。縫い跡がついているのはかなり強烈だが浅いのは未練がましい。
 主旨はリスカの方ではない。イコンの方なのだ、寝ているときにひっかいて腫れているタイプのあざはよくある。
 だがイコンは背中や手の届かないところに意味ありげな十字架が出てくる。この話を聞いたとき、神が何かを伝えようとしているしるしで、あなたは神に選ばれた人。もはや私のつたない占いの診断とかの申し上げるレベルではないと申し上げて終わった。その翌年に東日本大震災が起こり多くの人が津波に亡くなり、そして福島原発まで核爆発してしまった。イエスの威光であろう、間接的にお知らせいただいたことに感謝するばかりだった。

 占いの星で妄言、妄想、妄夢の星を持つと、妄想、妄夢に悩まされることになる。友人に、地中から出てきた腐ったゾンビに追われて、石を投げてもめり込んでいくという、楽しい鬼ごっこの夢を見てついに精神病院に入ったり。別の友人は、金持ちになって豪邸から自動開閉の門からベンツで出勤の夢を見て自立したもののさっぱり進展しないアパート住まいはまだいい。とりあえず夢が与える失敗の功罪は大きい。
 これは普段からの妄想が作用している。
 神示とは、山中に嫁に来た嫁さんが、薪を取りに行って戻ろうとしたら迷ってしまい夜になってしまい、途方に暮れて泣いてしまった時、不動明王が現れて谷そこから峰に昇れと言ったという。その通り峰に昇ったら道がありその道伝いにおりて家に無事もとったという。そのあたりは、谷底は段差のある滝が続き降りられないのである。
 神示とはあまり金儲けにかかわることは少なく、命にかかわることが多い。生命の危機がきたとき、助けに来るのは神か悪魔かそれによって、最後の救いか、終わりかが決まる。

 瞑想もだいぶ一般に普及して誰でも行っているように見られる。仏陀はバラモンに畑で働かず食べ物を作らないことを批難されたときに瞑想は農耕であると言って物乞いしながら瞑想を続けた。瞑想は外から見ても何を思い何を見ているか外からはわからいなから、瞑想で見たもの感じたものを導師に話して正しく進んでいるか指導を受ける。正しい瞑想をしたからと言って、称賛されもしないし、それでもって偉いと言われることもない。
 途中で横道にそれると様々の自分の想像した世界が現れ楽しいのであるがほとんど魔境で、姿勢や表情に現れてくる。この楽しい瞑想に入るとなかなか出られなくなると言われている。



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