人生が上手くいかないと嘆いていた、当時の自分へ。“自分で選択する”の意味。

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“自分の機嫌は自分で取る”だとか、“自分がどう反応するか、どんな行動を取るか、は自分で選択できる”ということが、完全に腑に落ちたのは、ここ10年位のことなんですが。

それまでの、マイナス思考でできあがっていた自分や、他責思考からくる自分勝手な怒りを持て余す日々を思い出す度に、どうしてもっと早く気づけなかったのか、と不思議に思います。

“自分で選択できる”という点に気づいた時、目が覚めた!という感覚があり、衝撃だったのを覚えているので、それまでは、この点が、とにかくどうやってもピンとこなかったんだろうと思います。

気になると、脳内のホワイトボードにずっと書いてある感じで、ああかな、こうかな、と考えていたところ、これが有力な原因だろう、と少しスッキリしたので、その思考過程を言葉にしてみようかと思います。

どうして自分の人生は、こんなに上手くいかないのか、いろんな人に不愉快にされ、邪魔ばかりされる……、障害が多くて嫌になってしまう、とうんざりしていた30代後半までの自分。

多分私はどこかで、自分の想定しているように物事が進まないと、“不利益が降ってきている”ように感じていたんだと思います。

その不利益は天から降ってくるような感覚で、変えられないものだと思っていた。この定着した考え方が強力過ぎて、自分でどうこうしようという気が全くなく。

努力を怠っていたというよりも、“努力すれば変えられる”ことに気づいていなかった、が正しくて。

面白いほど自動の思考で、有無を言わさず押し付けられた、今のこの不利益に、選択肢も何もないでしょうよ、とどこかで強く思っていたような気がします。

当時もし人から、自分で変えようとしているか?と聞かれたとしたら、ポカンでその意味が理解できないか、または、私はこんなに不幸で苦しんでいるのに、何と酷いことを言うのか、と激高したかもしれない、と思います。

私が経験した、当時自分がそう認識していた困った状況(“不利益”)は、若くして親の介護、とか貧困や難病といったものでは全くなく、よくある人間関係上の小さなトラブルです。

とても繊細で敏感な性格のため、より強く苦しみを感じ、悩んだのは自分自身理解できますし、慈悲の気持ちも湧くのですが、それにしても浅はかだったなぁと。

その状況を打開するための選択肢を、考えたことすらなかったのは、多分、“自分で選択する”という意味は、“提示された選択肢から選ぶ”ことだと思い込んでいた、と気づき、ハッとしました。

例えば、おやつにチョコレートとクッキー、どっちを食べるかとか、お風呂に入ってからご飯を食べるか順番を逆にするかとか、大学に通うか就職するか、みたいな、提示された、もしくは分かり切った選択肢の中から選ぶ場合しか、“選択”として認識していなかった。

自分が遭遇している困った状況に対しての反応や行動については、それまでの環境の中でできあがった、“自分なりの正しい反応”を取ることしか答えはなく。それは抗えないもの(だと思い込んでいた)なので、それも“選択”だということに、気づいていなかったんですよね。

例えば、会う度に嫌味ばかり言ってくる友人がいた場合。当時の私の唯一の選択肢は、“黙って我慢する。波風は立てない”で、これは、母親の対処法をそのまま受け継いだものでした。

実際は、

①その人と付き合いをやめる
②はっきりと伝える
③スルーする
④言われそうになったらはぐらかす

などなど、徹底的に憂いを断つ方法から、様子見をしながらの温厚路線など、微妙な工夫を含めて実にたくさんの対処法があるんですが。

天から降ってきた不利益ゆえ、どうしようもない。耐えるしかない、選択肢はないのだから自分は不幸だ、努力が足りないなんて言う人は、分かっていない、と思い込んでいました。

自分を守る行動を取らないで、ただされるがまま。そして、“私はあの人に振り回されている。向こうが悪い”と、全ての問題は相手にある、としていました。

当時の私は、“自分で選択肢を考える”という視点が、決定的に欠けていたんですよね。

毎日、常に小さな選択を繰り返して人生はできあがっている訳で。“自分の設定した選択肢から、一つ一つ選び取り、自分で人生を創ること”の重さに気づいた今は、当時を思い出すと、ただただ滑稽です。

実際にその対処法を試してみても、思うようにいかないとか、新たな問題が出てくるといったことも当然たくさんあるので、選択肢を考え、実践できるようになれば、問題は全て解決!という訳ではないんですが。

ただ、自分の人生の主導権を握り、主体的に生きる、生き方の姿勢を変えられることは間違いなく、姿勢を正す前と後では、人生の価値や満足感に天と地ほどの違いが出ると感じます。

ドラゴンクエストで例えるなら、バトル時の、

敵(困った状況など、自分の課題)が現れた!

コマンド?▶

の画面で、コマンドの選択肢は、(闘う、逃げる、などの用意されたものではなく)自分で入力して、相手と闘うようなものだなと。

世代なもので、この表現がしっくりきますが笑。このコマンドならどうだ?ダメージをくらった、じゃあ自分の強みを生かしてみよう。こういう対処なら相手はどう出るか?なんて、楽しみながら進んでいく人生は、クリエイティブと呼べるんじゃないかなぁ、と思っています。

プロフィールブック、お作りしています。あなたのクリエイティブな人生を、是非聞かせてください(^ー^)


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