「どうせ私なんか」と言わなくなった

記事
コラム
ある日の新聞で見つけた記事から

「自分のことを好きになるなんてよくわからなくても、自分の生活を好きなものに変えていくことはできる

「自分のことを好きになる」、これを自己肯定感というのだろうか。

「自己肯定感」という言葉はよく聞くが、大切だ、必要だ、と訳知り顔をしながら、「じゃあ、実際どうするの?」ともう一人の自分に聞かれていつも黙り込む。

「自分のことを好きになるなんてよくわからない」

これが正直なところだ。

「あなたにはいいところがある」「誰でもオンリーワン」と言われても、分かったような顔をしながら心はすぐに否定する。
「わかるけど…」「現実は…」。

もう大人だから、いちいち他人の言葉に逆らうこともせず、「どうせ私なんか」という苦虫をこっそり胸の内でつぶしていた。苦々しい…。

そんな悶々を繰り返してきた。


また、「幸せ」の別の意味は「仕合せ」で、めぐりあわせと聞いた。いいめぐりあわせも悪いめぐりあわせもある。生まれた家が裕福であったり、貧乏であったり、それもめぐりあわせ。それならお金持ちに家に生まれたかった。世間に自慢できるような仕事にも就きたかった。苦労が自分を育てたなんて、今でも思えない。

でも歳を重ねて分かってきたことがある。

「人を傷つけなければ自由に勝手に生きていい」

あきらめにも似た胸中だが、「あきらめる」は「明らかにする」とも言われる。自分をあきらめて(明らかにして)、否定もしないし肯定もしない。「自分を変えなければ」という言葉にも束縛されない。

だから無理に「自己肯定」なんてしない。
現実を現実のまま受け入れる。「自己受容」というべきだろうか。

「自分のここがダメ」
「あの人と比べて自分はダメだ」
「あの人がうらやましい」
「他人と比べるな」と何度言われても、何度も比べてしまう。

仕方ないじゃないか
それが私だから…。
だから、自己肯定なんてできない。

どうしようか?
それでも生きていかなけれならない。

だったら、自分で創り上げていく。
「自分の生活を好きなものに変えていく」
直す、修正するじゃなくて、新しく始める。

「天気のいい日曜日、午前中に掃除機かけて、すべてのカーテンを洗い窓を全開にする。すずめのさえずりを聞きながら爽やかな風を感じる」

そんなことからでいい。

何でもいいい。
身の回りのモノと絡めながらハッピーになってゆくストーリーを創り上げる。

「世界を小さく感じるこの地球儀が好き」
「私のマネージャーみたいなこの時計が好き」
「名前を大切に書けるこの万年筆が好き」
「泣きたいときに泣けるこの本が好き」
「秘密がいっぱい入るこのバックが好き」
「あの人の目線に近づけるこの靴が好き」
「好きがたくさん集まって私らしくになっていく」

誤魔化しでいい。
時間が誤魔化しを本物に変えていく。
そうすると、いつの間にか「どうせ私なんか」と言わなくなった。

「自分の生活を好きなものに変えていく」

暮らしに彩がついて「どうせ私なんか」という言葉が消えた。












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