「気持ちを切り替えよう」と声に出す

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昨夜は蒸し暑い夜だった。しかしぐっすり眠れた。スマホの目覚ましをかけなくても、窓際のカーテンが色づくころに自然と目が覚める。それにはこんな理由がある。

朝の気分を爽快にするために、寝る前は何も考えないことにしている。ベッドの上で色々考えても今は何も変わらない。頭の中に鈍気か濁水か判別できない汚濁が満ちるだけだ。たまに口から出そうになって嗚咽する。そしてまた眠れない。だからすべてを明日に引き延ばすことにした。明日は明日の風が吹く、今日できそうでも明日やる。

そんな朝に限って事件(?)が起きる。母親の部屋のエアコン、またコンセントが抜いてある。何それ?と思うかもしれないが、リモコンのスイッチは入ったままだ。この暑い夜なのに、リモコンには暖房の表示、なのに温度設定は20度になっている。「ああまたか」とつぶやきながら、またイライラしてきた。

こんなときの私のルーティーンはこうだ。「気持ちを切り替えよう」と声に出して言う。頭の中でつぶやいていてはダメだ。ブツブツと声に出して言う。かといって何か新しい行動は起こさない。ただつぶやいて自分を宥める。認知症の母親への対処はしない。私を苦しめているのは母親ではなくて、私のイライラだ。だからイライラを忘却させる方法をとる。それでも母親へ声を荒げることもある。そんなときは必ず後で自分が嫌になる。やさしさのかけらもない。

気持ちを切り替えても事は変わらない。明日になっても母親のエアコン操作は変わらない。洗面所の水も使えば出しっぱなし、すべてがやりっぱなしで終わっている。誰かに相談すれば、「何か紙に書いて貼っとけば」と冷静にアドバイスを受ける。薬も日付をつけて袋に入れておけばいいと。すべてやった、でも現状は変わらない。介護はそんな生易しいものじゃない。今も、いつか手を挙げてしまうんじゃないかと他家の事件が頭をよぎる。

理知的に頭で考え対策をとる、それも必要なんだろう。でも今の私に必要なのは、誤魔化すこと。正面から立ち向かわない、逃げる、避ける、誤魔化す。イライラしたときは、母親の目を盗んで、デイサービスに出かけている隙にちょっと豪華なランチをひとり食いする。もちろん内緒で…。一瞬気持ちが切り替わる、でも帰りには「あれ好きだったな」と、コンビニで母親の好物を買っている。後ろめたさがいつも纏わりつく。そんな毎日を過ごしている。行ったり来たりで未来は変わらない。

でもこれが平和なのかもしれない。取り立てて良いこともない。でもとんでもない事件も起こらない。少しのイライラと淡い満足感、行ったり来たりで、へこんだ穴を埋めるように平らな日々が続く。

私の思う平和とは争いが無いことではない。平らで何も起こらない毎日。いつかは終わり、また違う生活が来ることはわかっている。それでもきっとまた言っている。「気持ちを切り替えよう」と。




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