情は、こころである。
そう考えれば、愛情は愛するこころのことだと納得がいく。
そして、さらに、情報という文字にまでこころがかかわりあっていることに気づくだろう。
情報とは、数字やグラフや統計や知識の断片ではない。
それは、こころを伝えることなのだ。
情報化社会とは、こころをコミュニケートする社会のことである。
「仏教の心」(五木寛之 著)より
なんともいえない世の中である。
さて、みなさんがたよ、私たちはどうすればよいのか。
そこで親鸞はいう。ともがらよ、「悲泣せよ」と。
悲惨な世間を見て、悲しんで大声で泣く、そのような柔らかく人間的なこころをとりもどすことが先決なんだよ、と。
対策を論じたり、原因を分析したりする先に、悲しんで涙を流すような柔らかなこころを回復しようではないか、と親鸞は語るのだ。
仏教も、まずそのところから再出発することが必要なような気がしてならない。
「仏教の心」(五木寛之 著)より