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「物事に対して自分で答えを導き出す時代!💜」🎾🚴‍♀️⚔️🏓⛳🤿🏸😎😍

💎「自分で考える」という言葉は、魅力的なひびきを  持っています。しかし、「考える」と「技術」はニュアンスが違います。どうも逆方向のようなと思われるかもしれませんがそんなことはないのです。私たちが知っている思考の達人たちは、ごく普通の人に、考える技術を伝えようとしたのです。情報量の過剰は、いいことなのです。浅い水たまりに大きな船を浮かべることはできません。情報に満ちた大海が必要なのです。そこでこそ、自前の海図が有効なのです。特別製のものでなくていいのです。どこにでも漕ぎ出せる自分の身の丈に合ったものでいいのです。自分で考える時代が始まっているのです。「偏差値教育」、人工頭脳(コンピューター)の発達、情報の氾濫等これらのすべては、人間が自分の頭を働かさなくてもやすやすとベルトコンベアーの上に寝そべったままでゆけるという時代を象徴しているように見えるのです。見えるだけなのです。本を読まない、読んでもマンガかビジュアル雑誌の類。文章は書かない、漢字を知らない、書いてもめちゃくちゃな日本語を書く。話しない、議論ができない、口を開けば「えっー」とか「うっそー」とかしか発しない。ごく素朴な感情のレベルの言葉しか飛び出さないという若者の常態。一番面白いのは、漫画人間と言われた「団塊の世代」が自分たちの子供を「無思考世代」と読んでいることです。確かに、より後の世代を叱咤し批判するのは、激励をし、教育するというひとつの形ではあります。自分がどんなにおぞましくても、それを棚に上げてもおぞましいことをした子供を叱らなければならない時はあるのです。しかし、それは一時的な応急手段なのです。常に正しいのは
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企業の価値を上げる経営者【無形資産に対する理解】

今から20年以上前に、経済評論家の故堺屋太一氏は『知価革命』という概念に関して執筆しました。その先見の明は素晴らしいものだと改めて感じます。現在はモノ売りからコト売りの時代に変わりつつあると言いますが、まさに『知価社会』の時代を指している、と考えています。ハードウェアからソフトウェアへ変化しているのに気が付いていない、何となくしか分からない経営者が多いのではないでしょうか?ハードウェアはまさに手に取って分かるもの、実際に使う物などです。一方でソフトウェアは感覚的なモノなのでわかりにくいのかも知れません。インターネットの普及が進み、企業でも個人でも情報発信が簡単にできるようになりました。インターネットの発達していない時代では知名度を上げるために、高額な宣伝広告費を費やさなければいけませんでした。それほどの高額な宣伝広告費を出せるのは、一握りの大企業だけだったでしょう。同様に無形財産に資金を投入できるのも、ごく少数の大企業でした。私が所属していた大企業でさえコーポレート・アイデンティティを勧めるのに当時のお金で数十億の資金を使っていました。企業のロゴを変えるだけで、全従業員の名刺まで全て変更する必要が出てきたからです。当然ですが、事業には確信的な価値があり、それが中心となってビジネスモデルが出来上がっています。その価値を無視して、上部だけのソフトウェアに頼るのは問題外です。確信的な価値があり事業を行なっているのに、顧客に伝わらない最大の理由は、営業努力不足もさることながら、無形資産を構築してないというのも大きな理由だと感じています。情報という無形資産を理解していない経営者が大きので
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情報とは、こころを伝えることだ

情は、こころである。そう考えれば、愛情は愛するこころのことだと納得がいく。 そして、さらに、情報という文字にまでこころがかかわりあっていることに気づくだろう。情報とは、数字やグラフや統計や知識の断片ではない。それは、こころを伝えることなのだ。情報化社会とは、こころをコミュニケートする社会のことである。「仏教の心」(五木寛之 著)より情報とは、こころを伝えることだ。情報化社会とは、こころをコミュニケートする社会のことだ。血の通わない、こころを伝えない情報はいらない。だから、情報化社会の意味を改めて考えたい。モノが欲しくて頑張ってきた時代があった。そして、モノが充足された今、誰もが情報を欲しがっている。モノ社会の中に情報が溢れたように見えるが、実は、私たちはモノ社会を離れ情報化社会の中で生きている。モノは限られた空間と時間の中で、それ以上詰め込むことは出来ない。しかし、情報は枠を持たない。膨張するばかりだ。これが厄介だ。そして、これは、こころに似ている。だからこそ、情報化社会の中では、こころをコミュニケートしなければならない。どうするか? まだわからない。でも、情報という言葉を使ったら、同時に、こころという言葉を思い出さなければいけない。今それだけはわかる。なんともいえない世の中である。さて、みなさんがたよ、私たちはどうすればよいのか。そこで親鸞はいう。ともがらよ、「悲泣せよ」と。悲惨な世間を見て、悲しんで大声で泣く、そのような柔らかく人間的なこころをとりもどすことが先決なんだよ、と。対策を論じたり、原因を分析したりする先に、悲しんで涙を流すような柔らかなこころを回復しようではない
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おはようございます

娘は今年高校を卒業し、大学生になります。昔から、子育てが終われば、次は介護って聞いたことがあるフレーズですが、まさにそんな感覚を今味わっている感じがします。父は4年前に肺がんと大腸がんが見つかり、状態はステージ3まあまあ、緊迫した状況で、一時は大変だったんですが、無事に仕事も復帰することが出来て、今も健康にいさせてもらってるんですが、定期健診がなかなかのくせもの(笑)今も定期健診で病院にいくんですが、先生の移動で病院も変えているので、移動が付き添い必要という・・・・(笑)そのたびに私は仕事を休み、父の病院に付き添わせてもらってるんですが、なかなかハードですよね。。。。ちょっとしたことなんですが、自分だけじゃ出来ないことがあるようで、、、自分もいつかこうなるのかな?と思うと今の健康を大切にしていきたいと思います。知り合いが炭水化物を抜くダイエットを始めて10キロ痩せましたが、結果、心のバランスが崩れ、結果、見た目はスリムになったものの、精神面でダメージが大きくなったと本人反省している模様。情報過多の時代。何を信じて実行するかで、結果が大きく変わります。正しい知識を習得する癖!みたいなもんを子供達にはスキルとして身に着けてほしいですね。ちなみに娘はiPhone3Gが発売された保育園の時から自分の携帯を持たせました。理由はこれから、この端末操作になれることへの利便性。この端末に使われるのではなく、使いこなす側の人間になるためにはダメ!と奪うのではなく、どうつきあっていくか?を親が教育する必要があるといち早く取り入れて、(私も必死でiPhoneを使いこなしました(笑))娘に伝授。。その
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