殻を破る(自己中人材偏11)

記事
ビジネス・マーケティング
こんにちは、今日は1月22日です。
一週間とんでしまい申し訳ありません。

今回は、言語化力と応用力の関係について考えていきたいと思います。

応用力とは、「知識として得たことを実際の事柄に当てはめて活用する力」という意味(違い比較辞典HPより)なのですが、たとえ1本の棒でも、その棒についての知識(例えば、固い、細い、長い、とがっているなど)を活用することで、叩いたり、隙間に差し込んだりして、何かを成し遂げることができる、すばらしい力と言えます。

もし応用力がなければ、○○用の棒、△△用の棒など様々な状況ごとの棒が必要になり、生活するうえで手間がかかり、非効率です。言い換えれば、様々な状況ごとに一つの棒を使い分ける能力とも言えます。

今から約100年前のウズベキスタンで文盲の村落が発見され、世界中から研究者が集まり、文字がない(読めない)ことについての影響を研究したようです。詳細は「声の文化と文字の文化」(著者:ウォルター・J・オング)という書籍で紹介されています。

文字がない(読めない)と実践的で状況依存的思考になる、ということです。これは私の解釈ですが、抽象化・一般化する必要性を感じない、といことだと思います。

例えば、四角の図形を見せて「これは何か?」と質問すると、「窓」と答える。「四角」という抽象概念がないわけです。△は○○さん家の窓なのです。
また、「“ハンマー、のこぎり、丸太、オノ”この中で似ているものはなんですか?」という質問には、「みんな似ている」と答えたそうです。「みんな必要なもの。丸太がなけりゃのこぎりはいらないだろ?」ということです。これが状況依存的思考です。

ですから、「似ているものを一つの単語で言えますか?」という質問には、「どういうこと? みんなハンマーってのはおかしいよね」と。道具という抽象概念がない、必要がない、ということでしょう。

ここで私が疑問に感じたのは、文字がないと抽象概念がなぜ必要とされないのか? 抽象化能力が育たないのか? です。

この疑問解決のキーワードは「記録」でした。
「声の文化と文字の文化」で、声の文化は「感覚と記憶」、文字の文化は「意識と記録」である、と記されています。

確かに言葉だけでは、自分の脳に記憶するしかありません。そして脳にある記憶は、時間とともに変質したり消えたりします。しかし文字があれば、書かれた文字が消えない限り、変質もしません。

つまり、知っていること(知識)の蓄積が可能となり、知識の蓄積・整理・再利用が可能となるわけです。

とりわけ蓄積はかなりのインパクトだったと思います。言葉だけだと「言った言わない」のやり取りのように「言い訳」ができるのですが、文字で記されると「言い訳」ができません。
だからこそ、記された文字に対して「だから・・・となる」という論理的な表現が可能となるわけです。ソクラテスの三段論法も文字があったから、検証できたそうです。

次から次へとロジックツリーのように、その言葉(文字)の上位概念や下位概念が生まれてきたのではないでしょうか。

確かに記憶だけでは、道具というノコギリやオノなどの抽象概念を創作しても、忘れてしまいそうです。道具というものは存在しませんから。(言えたとして“あれ持ってきて”って感じですね)

論理的思考、抽象化・一般化がしやすくなり、何階層ものロジックツリーが扱えるようになって学問が発達していきます。
抽象化能力が高まれば、「地球上の砂漠での歩き方」⇒「細かい粒子の上の歩き方」⇒「月面を歩く練習にできる」といった応用も考えつけます。

まとめると、話し言葉だけでは記憶だけで記録されないので「知識や情報」の蓄積がされない。話し言葉だけでも応用力の発揮は可能だが、「知識や情報」が蓄積されることで、論理的表現が可能となり、抽象化・一般化が促進され、より高度な応用が可能となった。

「カート・フィッシャーの能力の13階層」にあるように、具象化と抽象化の行ったり来たりを深く広くできることは、応用力を高めるのに本当に重要なのですね。
話し言葉だけでなく文字で残すことの大切さを改めて認識しました。

次回は職場で、話し言葉だけではなく文字も扱い、できるだけ早く自己中人材から脱皮する方法を探求したいと思います。

ココナラで皆さんの成長支援を行えることに感謝いたします。
どうそよろしくお願いいたします。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら