「自分を大切にすると、ナルシストって呼ばれちゃう?」
昨今の心理学やスピリチュアルブームのおかげで、幸せになるためにはまず「自分を大好きになりましょう」とか「自分のやりたいことを、遠慮せずやりましょう」というような言葉を、本当に様々な場面で、よく目や耳にするようになりました。
前回の『本当に大切な人を大切にするために、知っておいてほしいこと』の記事でも書きましたが、「自分を愛せない人は、他人を真に愛することは出来ない」ですしね。
とは言え「そんなことばかりしてたら、"自己チュー"って思われて、周りの人達から嫌われちゃうんじゃない?」と思う方も多いのではないかと思います。
そもそも、自分至上主義のような考え方がだんだん取り入れられるようになってきたのは、恐らく本当に最近のことで、従来の日本で尊重されてきた"耐え忍ぶ美学"や"自己犠牲の美学"のようなものからすれば、真逆の思想のように見えるものかもしれません。
今回はそんなことも踏まえて、自分大好きナルシストさんをテーマに、少しお話しようと思います。
"ナルシスト"という単語から連想されるのは……確かに現代日本で一般的には、あまり良いイメージではないですよね。
鼻持ちならない……というか(^_^;)
実際に「自分大好き!」が高じて、やたら自慢ばかりしてきたりする人に対して、ちょっぴり不愉快な気持ちになったことがあるなんて方も、少なくないのではないでしょうか?
しかしそこには、2つの側面があるのではないかと思います。
1つは、受け取る側の問題。
「嫌いな人や苦手な人は、自分が嫌って押し殺している自分自身の投影」というようなことは、前回にも書いたと思います。
例えば普段、言いたいことをぐっと我慢してしまっているような人は、何でも好き勝手言いたい放題の人に、苦手意識を持ったりすることがありますが、これは「私だって本当は言いたいのに!」という、無意識の羨望や嫉妬から来る嫌悪感だったりします。
「自分大好き!」とか「私って素晴らしい!」なんて、大声で公言しては角が立つ、出る杭は打たれるし、とてもじゃないけど言えない……という常識の元で育ってきた人にとっては、そんなことを平気で言ってのける人の方が、非常識極まりないのです。
でも、"常識"というのは人がいれば人の数だけあるもの。
今まで「そんなの常識じゃん!」とずっと疑いもせず思い込んできたものが、視野を狭めてしまっている可能性もある、ということですね。
嫌いな人を無理に好きになる必要は勿論ないですが、もしほんの少しでも「本当はちょっと、羨ましいかも……」と思う部分があるのなら、自分にも同じように、ほんの少しだけ許してあげることで、もしかしたら、新しい世界が見えるようになる場合もあるかもしれません。
では、鼻持ちならない所謂ステレオタイプの"ナルシスト"さんの側には、問題はないのでしょうか?
あの人、明らかに言動と実際が噛み合ってなくて違和感を感じるけど、あの人みたいな「自分大好き!」になるのが、本当に"幸せ"?
「そんな幸せなら、ちょっと要らないかな……」と思うかもしれませんね。
2つ目の側面は、「自分大好き!」と口では言っている人が、実は本心ではとても自信がない場合の問題です。
最近では"マウンティング"なんて言葉もよく聞かれますが、"人より優位に立つことで自分を守ろうとする人"というのは、実は寧ろ、"本当は自分に自信を持てていない"ことが殆どだと思います。
と言っても、これも人として自然な防衛反応であり、誰しもが少なからず持っている心の動きではあるのですが、あまり度が過ぎると、周囲との関係性に摩擦を生んでしまうことも。
輝かしい部分だけでなく自らの弱い部分も受け止めて、自然と自分を誇りに思い、何の気なくそれを語れる人は、「自分大好き!」と公言していても、何故か反感を買いにくいものです。
ところが、やたらと自慢ばかりして人から評価を得たがる人というのは、「○○だから、自分は凄いんだ!」と、理由になるものをいつも探しています。
裏を返すと「理由がなくなったら、自分はダメなんだ」と本当は無意識に思っているのです。
自分の弱さや醜さには蓋をして、否定して、見ないようにしたり、逆に正当化をして歪んだ解釈をしてしまうんですね。
だから、周りの人達から"評価"という形で、外側から自信を「貰おう」とします。
真の"自信"とは、自分の内側から湧くものです。
人の言葉から自信を貰うということも、人生においては勿論たくさんあると思いますが、それはあくまで相手に心から"言われた"から価値があるのであって、"言わせた"言葉には果たして、どれくらいの価値があるでしょうか?
本当に自分を心から誇りに思っている人は、もしも人からの評価がなかろうと、その自信が揺らぐことはないので、せっせと人に同意を求める必要もないのです。
「自分大好き!」が本心から出ている言葉ではなく、「お願いだから認めて、凄いって言って!」という悲痛な叫びの裏返しである場合は、やはり周りの人達から見れば、違和感が隠しきれず、痛々しく感じられるのかもしれません。
このタイプのインチキナルシストさんは、どうしても、周囲の人々からも"自己チュー"と非難されることが多くなってしまうように思います。
長年それが癖付いてしまっていて、自分で自分のか弱い本心に、自覚がなければ尚更に。
自分で自分を上手に満たせないから、人から奪って満たされようとし、周りを見る余裕がない。
逆に、本当に自分のことを心から愛していて、幸せに満ち溢れた人には、そこから他人を思いやる"余裕"も生まれるのではないかな、と私は思うのです。
最近では"自己肯定感"という言葉もよく聞かれるようになりましたが、自分自身の弱い部分も隠したり否定せず、本当の意味での"自信"をしっかりと持って、自分も周りも幸せに、バランスの良い心を育ててゆきたいですね。