おじいちゃんの話

記事
小説
昭和3年、私は巣鴨の時計屋に生まれました。
お父さんの進藤寅三郎さんは、寅年に生まれた三男なので寅三郎という名前でした。

昔の時計には、車1台ぶんくらいの値打ちがありました。
時計のカチコチという音の響く大きなお屋敷で兄とともにすくすくと育ちましたが、
12歳の時に大好きだったお母さんが病気で息を引き取りました。
まるで心にポッカリと穴が空いたようでした。

お父さんは、お母さんの妹さんを後妻さんに迎えました。
妹さんはおとなしいお母さんと違い、明るく元気な女の人でした。
しかし、妹さんのことを『お母さん』と呼ぶ気には私はどうしてもなれませんでした。

その後、弟妹が3人生まれ、いよいよ妹さんは進藤家の『お母さん』らしくなってきました。
家の中はにぎやかになりましたが、私は出来るだけ出かけるようにしました。
私はお兄さんと一緒に、近所の田んぼで過ごす時間が長くなりました。
私は、自分の居場所はこの家にはないように思えてなりませんでした。

どうしても、お母さんではない妹さんのことを『お母さん』とは思えない。
弟や妹たちにも、心を開けない。
お兄さんが家を出てしまうと、話し相手は家の中にはいなくなりました。
だんだんと、自分が何のために生きているのかわからなくなりました。
むしゃくしゃして、自分が自分でなくなってしまうかのように感じました。

私が中学生になった頃、戦争が始まりました。

私は、神風隊に志願することにしました。
「神風隊」とは、赤トンボと呼ばれる飛行機に乗り、
玉砕覚悟でアメリカの軍艦にぶつかる特攻隊員のことです。
その捨て身の勇姿は、今でも末長く語り継がれています。
勇猛果敢な特攻志願兵は愛国心溢れる若者の鑑として、
町を挙げて祭り上げられていました。
どうせ生きていても死んでいるような人生なんだし、
神風隊に志願すれば皆が私を見直すに違いありませんでした。

私が神風隊に志願すると言い出した時、お父さんはたいそう驚きました。
「お前はまだ若すぎて、神風隊には入れるわけないだろう」
「でも、予科練なら入れるはずです」
予科練はパイロット見習いの若者が入学できる学校です。
お父さんは私の決意が固いことを見てとると、
一振りの剣を餞別にとしてくれました。
きっと、もう生きて帰ってくることがないと思ったのでしょう。

予科練に入学する前日、
家では見たことのないようなご馳走が振る舞われました。
私は新しい制服を着て、写真館で写真を撮影しました。
お父さんも妹さんもお手伝いさんも、優しくしてくれました。
弟や妹たちは、なんだか怖がっているようでした。
私もいつになく、出立が楽しみになってきました。

予科練での生活は苦しいものでした。
私たちは来る日も来る日もアメリカへの特攻を成功させるため、
赤トンボの飛行訓練を重ねました。
しかし、私は私が出撃する日は来ないと思っていました。
私は予科練の中で、1番年齢が若かったからです。
特攻は、年かさの者から順に番が回ってくる決まりでした。

しかし、次第にそうも言ってられなくなりました。
毎日何人もの仲間たちが赤トンボに乗って特攻に飛び立ち、
そして帰ってきませんでした。

ある日、私にも出撃命令が下りました。
私は初めて神風隊に志願したことを後悔しましたが、
誰にもそれを伝えることはできませんでした。

出撃の日の朝。
空はどこまでも高く澄み、風は冷たく、やけに静かでした。
胸の奥では、うるさく心臓が鳴っていました。

けれど、次の瞬間。
眩しい光とともに世界が弾け、私は何もわからなくなりました。

白い天井と薬の匂い。
気がついたら、私は病院のベッドの上にいました。
私は敵に銃撃され、脚を銃弾が貫通していました。
その怪我が治るまで、出撃はしなくて良いと言われました。

私の代わりに赤トンボに乗った友達も、ついに帰ってきませんでした。

ベッドで玉音放送を聞き、終戦を知りました。
戦地から帰ると、巣鴨の大きなお屋敷は空襲にあって焼け落ちていました。

お兄さんとは、生きて再会することができました。
「お兄さん、恥ずかしくも、生きて帰ってきてしまいました」
「なにも恥ずかしいことなんて、あるもんか。お前の命が何よりだよ」

私はお兄さんご夫婦の家の2階に住むことにしました。
お兄さんの家での日々は、平和でした。

やがて、お兄さんには赤ちゃんが生まれました。
赤ちゃんのお世話を手伝ったりしていると、
お嫁さんというのは良いもののように思えてきました。

私も、お兄さんのように温かい家庭を築きたいと思うようになりました。

お兄さんは、私にお嫁さんを探してきてくれました。
私より3つ年下の農家のお嬢さんを紹介してくれ、
お見合いしました。
優しそうな目をしたおとなしいお嬢さんでした。
どことなく、お母さんのことを思い出しました。

お嬢さんと2回目に会ったのは、もう結婚式の時でした。
私たちは、お兄さんの家でささやかな祝言を挙げました。
私は心が躍りました。
必ずや奥さんと温かい家庭を築こうと、胸に誓いました。

私は、埼玉の小学校で英語の先生になりました。
最初はもぐりの先生でしたが、
仕事が終わった後に館林の夜学に通って先生の免許を取りました。
私が本当の先生になった頃、
女の子と男の子が生まれました。
私の人生で最良の日々でした。

子どもが生まれてからは、忙しくも充実した毎日でした。
お金はありませんでしたが、
幸い子どもは2人も元気に育ちました。

学校の先生のところには、子どもたちがなんでも持ってきます。
まず、ひよこを3羽もらいました。
次に、キジをもらいました。
キジはイタチにとられてしまいましたが、ひよこたちはみんな大きくなってニワトリになり、子どもたちと庭を駆け回っていました。

学校が休みの日には鮒釣りをしたり、囲碁を打ったりしていました。
囲碁を打つ相手は、学校に行けばいくらでも見つかりました。
囲碁が得意な私は、何度も町内チャンピオンに輝いたものです。

私の子どもは小学校に入学したので、もちろん私が英語を教えました。
学校では英語を教えましたが、家では国語や算数も見ていました。
仕事に行っても家に帰っても自分の子どもと一緒にいるのは、
なんだか不思議でしたが幸せな気持ちでした。

季節が巡り、たくさんの子どもを教えて、そして見送りました。
気がつけば私は学年主任になり、やがて教頭先生と呼ばれるようになりました。

私の教えた子どもたちが、立派になることは望みません。
元気に楽しく、ささやかな幸せを大切にしながら生きていってくれるだけで十分です。
幸い、子どもたちは予科練に行くことも赤トンボに乗ることもありません。

もう二度と戦争を繰り返さないよう、
子どもたちがいつまでも平和な日本でのびのびと育っていってくれるよう、
心から祈ります。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら