昨晩、ある声が聞こえてきました。
「すべては自分の中にある。」という声。
そうなんです。わかっているんです。
私たちは、自分の見たいものを見ていますし、自分の欲しいものを受け取っていますし、自分のやりたいことだけやっているのです。
では、事故や病気で死ぬ人は本人が望んだからか?思う仕事に就けないのは本人が望んだからか?結婚に失敗したのは本人が望んだからか?と言われてしまいそうですが、答えはイエスなのです。
なぜそのような辛いことをしなければならないのか?と思われるのかもしれませんが、やはりそこは同じ答えにたどり着くのではないかと思います。
どうしてもどこかで死なねばならないなら、生きている私たちではなく、生まれてくる前に約束した私たちが「なるべく一瞬で」とか「美しいままで」とか「誰かを助ける形で」「病気でゆっくり」という風に決めてきているのではないかと思います。
亡くなり方は人それぞれですが、生きている間は自分でかなり広く選択肢を選べるのではないかと思います。
辛い経験も自分で選んでいるのだと、本当に理解できれば、いい方向へ向かわせることができるのも自分であるということがわかるのです。それがわかっているけど疑っている間は方向転換できないのかもしれませんが...。
その声は、迷いつつあった私をまた明確な場所へ連れ戻してくれたようでした。感謝です。