職場の人間関係や、夫婦、恋人、友人などの関係性において、どんどん嫌いになっていき、最後には、そこで同じ空気を吸っていると思うだけで嫌だと思うようになることがあります。
もう、タイトル通り、坊主が嫌になれば、その坊主が来ている袈裟まで嫌なのです。袈裟は物(衣裳)ですから、そこにいい、悪いはなく、気に入らないなんて感情を持つのは、普通に考えればおかしな話ですね。
さて、その時に、ちょっと冷静になって考えなければならないことがあります。それは、「なぜ坊主が憎いのか」ということです。
もちろん、相手に嫌な部分があるからです。と答える方は多いでしょう。
隠れて悪口を言われる。旦那が浮気をする。恋人がかまってくれない。友人が他の友達と遊んでいる。状況は千差万別ですが、そこには一つの共通点があります。
それは、「相手は、ただやりたいことをやっているだけである。」ということ。
そのことについて「私は傷ついている」と感じているのです。「私は大切にされない人物である」と感じているのです。
ただ、他人を変えることは基本的にできません。でも、私が傷ついているという方は変えることができます。
悪口を言われていても、それはその人が勝手に思っていることであり、事実ではありません。例え「ブス」「仕事ができない」と言われても、あなたを美人だと思う人もいますし、仕事ができると尊敬してくれる人もいます。
では、なぜ傷ついてしまうでしょうか?
それは、あなたの心の中に、同意する自分がいるからです。
自分もそう思っているから同意してしまうのです。それも事実ではないことに一緒に同意してしまっているのです。自分のことを仕事ができると思っている人は、誰かができないと言っても「なんでそんなこと思うの?変な人」で終わってしまうからです。
そして、その原因は幼少期にさかのぼることがあります。
あなたが自分のことをブスだと思っているのは、小さな時に、母親から「お前は本当にかわいくないんだから」と言われていたからではありませんか?
あなたが仕事ができないと思っているのは、小さい時に、母親から「本当に動作が遅いし、勉強もできないんだから」と言われていたからではありませんか?
子どもの頃から刷り込まれてきた思いこみは大人になってからも影響を与えます。
袈裟まで憎くなるのは、まわりまわって自分の幼少期の記憶が招いていることもあるのです。