絶縁からの、復縁

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占い
こんにちは☆彡
秋分が過ぎ、これからは陰のエネルギーが増えていきますね♬
善し悪しではなく、陰陽どちらも大切で、必要。

男性性、肉体、顕在意識といった陽のエネルギーから、女性性、精神、潜在意識といった陰のエネルギーが強くなっていく時期。

女性性や、精神、潜在意識に目をむけることが、変化(進化)へのkeyになります♡

そんな陰陽バランス境目である、秋分の日。

事件は起きました。

このタイミングでか!!!
というのは、あとから気づいたけど(笑)

何が起きたかというと、復縁。

といっても男性関係ではなく、
3年半、絶縁していた妹との再会。

秋分当日の夜、
突然、妹からのLINE。

台風のその日は、新橋で、19歳年下男子と楽しく飲んでいて、全然スマホ見ておらず、着メから1時間以上経ってから気づいた。

さらに妹との個人LINEは、絶縁した時にすべて消去していたので、久しぶりに彼女の名前(アイコン)を見たので、最初なんだかわからず。

開いてみると、

『お久しぶりです。
急だけど、今から会える?

5分でもいいです。』

・・・何事?!!


半年以上前に軽井沢に移住した妹。
(その前は仕事で台湾に1年弱住んでいた妹。帰国後は、部下がみな中国や台湾人で現地在住のため、彼女自身は日本国内どこに住んでも変わらないので軽井沢にしたらしく。絶縁していたので親から聞いた話)

軽井沢から東京に来ているらしいが、5分でもいいって、そもそもお互い絶縁宣言していたのに、なぜ??

思わずよほどの事件が起こったのかと心配になり、

「いまみた、新橋で飲んでるの
どした?」

と返信すると、返信が

『顔がみたかっただけ。』

・・・一体、、何事?

『今から新宿に来られる?』と来たが、行くとしたら1時間後位になると返信すると、
『明日会える?』
と。

で、翌日(昨日)の夜、妹と3年半ぶりに対面で会うことになった。


心配と、緊張と、嬉しい気持ちとごちゃまぜな感情を抱えながら、指定の喫茶店にいくと、緊張した面持ちで、目の前をみつめて座っている妹の横顔が目に入った。
懐かしい、妹の姿。

緊張を解こうと、
「お待たせ、あれ?このために貸し切りにしたの?!」とツッコミ。(新宿駅前なのになぜかたまたま他にお客さんがおらず)

振り向いた妹が、緊張残る笑顔で、
『あ、そうそう。貸し切りにしといた』 と反応してくれて、少しホッと。

座って、久しぶり、元気だった?と。

この後は、話をまとめてかく。

妹はとても元気で、何かあったわけじゃなく、私と会いたいと思って声をかけたそう。

話し始めから、妹の目に涙がたまっていてずっと泣いていた(妹はめちゃくちゃ頭がよく、かつ気丈で、泣く人ではない)、

絶縁したときは、本気で一生二度と会わなくてもいいと思ったこと
(それは私も同じ。だから絶縁宣言して、連絡をすべて絶った)

彼女自身のなかでこの3年半、色々な葛藤や私への憤り怒り、親への怒りや苦しみに向き合ってきたこと

正直いまも、私と会わないでいる時間は心が穏やかでいられること

それでも、このまま一生会わずに死にたくない、と思ったこと

今でも長い時間(旅行等)一緒にいると、また子供時代の自分が暴れだして私にナイフをつきつけたくなるだろうこと(リアルなナイフではなく、言葉のナイフという意味)
だから長い時間は一緒にいれないけれど、絶縁は解消して、新たな関係を築いていきたいと思っている、ということ。


絶縁する前の、20年位は仲が良かった。
妹が日本の大学を1年で中退し、アメリカの大学に入りなおして3年くらいたって鬱になり、大学卒業を断腸の思いで断念して(本人は何としても卒業したいと思っていて、一時期半年間帰国して療養してからアメリカに戻ったが、しばらくしてカウンセラーから本格的に帰国するよう指示があり)帰国してきてから、7,8年ずっとサポートしていた。
(この話だけでドラマがかけるくらい、本当に色々なことがあったので今は省略)

7,8年経って、とあるきっかけを元に、妹は奇跡的に復活。
(このきっかけは、今やっているこの仕事に繋がる話なので、いずれ必ず書く☆)

とあるきっかけを経て、引きこもりの生活から脱して、高卒でも働ける会計事務所を探して入り(しかも当時30代半ばで、社会人経験ほぼ無い状態で)、

そこからが、すごかった

アカウンティングがやりたいということで、仕事しながら学び、猛烈に働きはじめた妹。とにかく必死にやっていたんだと思う。その結果、1年後位には事務所でマネージャー職になり、当時クライアント先で常駐していた某大手ドイツ製薬会社から引き抜きの声がかかり。(事務所が妹を渡さない、ということで引き抜きの話は実現せず)

その後、大卒の学位を取りたいということで、3年働いてお金を貯めてから、アメリカの大学に申込み、3年かけてオンラインで学び大学卒の学位をとった。

その間、数少ない友人との遊びも一切絶ち(3年間で唯一友達の結婚式にいったくらい)、私が実家に帰ったときに夜ご飯一緒に食べようと声をかけても、
膨大なレポートや、カリキュラムに追われて、まともに一緒にご飯を食べれたことは一度も無かった。

夜中2時、3時に職場からタクシーで帰宅し、そこからレポートや課題をこなし、ソファで30分仮眠して、また会社に行く、という毎日。
人間、ここまで自分を追い込めるのか、と思うくらいストイックに仕事と勉強に集中していた

このままだと身体を壊してしまう、もしかしたらまた鬱になってしまったら・・と心配しながらも、彼女は人の意見を聞く人ではなく、見守るしかなく、3年後

会社に行くために朝電車に乗っていたら、彼女から一通のLINEが届いた。
開けてみると、

『無事卒業できました』
と。

心から安堵して、「よかったね!!!おめでとう!!!」と送ると、

『今まで、支えてくれて、本当にありがとう』

こんな日が来るとは
スマホ画面をみながら何とも言えない気持ちでいると

『明けない夜は、ないんだね』

このメッセージを見て、涙があふれてとまらなかった
(電車だけどとめられず)


アメリカから帰国してからの、7,8年が、走馬灯のようによみがえり
引きこもりの彼女をみている側としてもつらかったけど、
(親から妹のケアをして欲しいといわれていたのもあり、2週間に1回は実家に帰っていた)
何よりも、本人が一番つらかったに違いなく

色々な想いがこみあげて、涙がとまらなかったのがあの時から、7年半。

そこからはお互いに多忙になり、たまに食事したり、旅行にいったりしていたが、

(だいぶ前置きが長くなった(;^_^A)


そんな仲良かった妹と、なぜ、妹断絶したのか?


そこには家族問題がある。


私が育った家庭は、小さなころから、表面的には夏に軽井沢、冬はスキーなど頻繁に家族旅行にいき食事もしたり家族単位でよく行動していて、対外的にはいい家族にみられていたかもしれない、、、が、
実際の中身は、戦争というか、惨状だった。

父親の問題が一番大きく
セクハラ、モラハラ、パワハラ、強烈なハラスメントと精神的暴力は日常的に(肉体的暴力はたまに)あり
恐怖と絶望が日常にある状態で、そのやり場のない気持ちが当時小学生で小さかった妹にむいてしまい
(彼女はお姫様と呼ばれて、私は召使とか乳母とか呼ばれて差別されていたのもあり)

一方、妹は私にいじめられたときの悲しみや苦しみからの憎悪や怒りを溜めてきて、彼女が高校生(私が大学生)なってからぶつけてきた。
その時に、彼女に対して心から申し訳ないことをしたと思った私は、この先の人生は彼女に償うためにできることはなんでもしよう、と思った。
その後の時間もお金も、彼女のためにエネルギーをかなり使い、元気になる場所と思って旅費全部出してハワイに連れて行ったり、スキー好きだった妹なので会社のスキー仲間の集いに一緒に連れて行ったり、当時付き合っていた彼氏との遊びも一緒に誘ったり(開業の歯医者だった彼は良い人で全部事情を理解してくれて妹も彼のことは信頼しており。ありがたいことに新しい医院開設の際は妹を雇ってくれたりもしたが、最初にEXCELで管理システムやマニュアルなど妹が全部作った後、鬱で通えなくなって1ヵ月で辞めた)。

過去の負債を埋めるかのように、妹に尽くし、仲良い時間を過ごしていたが、
彼女が自力で30代半ばに働きながらオンラインでアメリカの大学卒業し、バリバリ働くようになってから様子が変わってきた。

彼女と会ったり、旅行にいったりしても、ぶつかることが多く、
しかも私からすると理不尽と思うようなことで攻撃され、傷つけられ。
お互い傷つけあう喧嘩を何度もして、数年が経ち、とうとう断絶のきっかけになる事件が起こった。

妹がアメリカの本社で働くことになり、当時妹が住んでいた大阪に引っ越しの手伝いにいく予定で休みをとっていたが、1か月前に業績悪化のためワールドワイドで人事異動の全凍結が決定され、アメリカ行きの話がリセットに。
せっかく有給とったし、ということで2人で高野山&熊野古道にいくことにしたという経緯。


その旅行2日目、高野山を出てナビに従って山道を運転していたのだけど、なんとスマホがまったく通じない紀伊半島の山の奥深くでタイヤパンク。
奇跡的に1台だけ通った地元の工事業者の車にお願いしてレスキューを頼み、大雨の中、数時間レスキューを待ち続けた、という事件。
(トップの神社の写真は、その時に訪れた高野山で撮ったもの)

その時に、決定的なことがあった。
死ぬか生きるかの状態(まで大げさじゃなくても大事な局面という意味で)、この人は、こういう態度をとるんだ、というショックを受け。


そこから半年以内にまた2回大きな出来事があり、お互い絶縁宣言することに至ったのが経緯。


その時は、なぜ妹がやっと復活して、就職して、大学も卒業して望むものが手に入った状態で、私を攻撃してくるのか?理由がわからなかった

それが昨日話をしていて、ようやくわかった。
社会で働くようになって、それまでは勃発していなかった自分が抱えている問題が噴出したため。

会社で働く中で、小学生時代のトラウマが色々な形で出てきて、それが彼女を苦しめていた。
(例えばだけど、仕事で自己主張をしようとすると抑えつけられる恐怖でできなくなる、みたいな)

それが私への怒りとなって、出ていたということ。

私に怒りをぶつけても根本的解決にならないことは彼女もわかっていて、だから相当に苦しかったんだと思う

誰かのせいにすれば、気持ちは一瞬、少し楽になるかもしれない
でも本当の意味で、解放はされない

自分が抱えている問題は、自分にしか、解決できない

頭ではわかっていても、向き合う作業は簡単ではなく
彼女は絶縁している間にそれをやって、
そして自分なりの落としどころをようやくみつけて、
そして私と新たな関係を築きたいと思って、連絡をしてきたという話。


ちなみに、
妹にとっては対象が私だったけれど、
私はその対象が父親だった。

なので私の話も書いておく。

父親(大人になってだいぶ後に気づいたのだけど母親もかなりひどかった)との関係で、
多感な10代は、視線恐怖症を発症して苦しみ(電車に乗るのはもちろん、授業中も食事中も・・・緊張でお箸を口にもっていっても開けられなかったり、、人の視線がある場所はどこであっても、針の筵に座っているような苦しみで、唯一少し安らげるのは誰もいない自分の部屋)、
それ以外に、20代~30代半ばは分裂症のような状態に苦しみ。
頭の中に自分を批判する自分がいて何かしゃべってもやっても常に批判されているので、24時間365日寝ているときも休まらず、脳も気持ちも疲弊していた。

父親また母親との関係は、異性関係にも多大な影響を及ぼし、20代は自らを(精神的に)傷つける行為も沢山あり。沢山事件名があるが、そのうちの一つは名付けて、札幌結婚詐欺事件(笑)(20年以上経って今だから完全昇華してネタにできるくらいになったけど、当時は死にたいと本気で思ったし、数年トラウマを引きずった。いつかこれも書こうかな。聞きたい人がいれば(笑))


しかしそれらを作り出した原因である、父親本人にどれだけ怒りの気持ちを向けても、解決しない

例え相手に謝罪してもらったとしても、もし理解してもらったとしても(してもらってないけど)、自分の中の根本解決にはならない

※相手に言いたくて言えなかったことをアウトプットする作業は、実際にできるならやった方がいい。
本人に対してできなかったらイメージの中でやるのも有効。そういうセラピーもある。溜めていた感情を本人(または本人のイメージ)にアウトプットすることは、乗り越える過程としては大事な作業になる


究極は、
傷ついた自分、小さいころに傷ついたトラウマを癒すのは、自分自身にしかできない

誰かから影響を受けたことであっても、自分の問題は自分の中でしか解決できない


そのことに気づいてからは、父親へ向けていた怒りや憤り、葛藤などのベクトルを、自分を癒す、自分をケアすることに向け始めた

そして、カウンセリング、ヒーリング、占い(四柱推命、算命学、命式ベースの占い)など様々なものを学び、実際に自分でもそれらのサービスを受けたりして、劇的に、変わっていった。


抱えている問題が大きければ大きいほど、ボタンを押すようには一度には変わらなくて、
時間をかけ、何度諦めかけてもまた取り組んで、、の繰り返しで、その中で少しずつ、でも確実に変わっていき、気づいたら、大きく自分が変わっていた、、
というのは私自身の体験。


自分を変えるためには、上記にかいたカウンセリングやヒーリング、占いなど以外に、まったく違う視点を取り入れることも有効

例えば海外旅行。
特に開発途上国にいくと、
自分をまったく違う視点でみれるようになったりする

自分とは違う視点をもった、経験からくる深い洞察をもった人たちの本を読むのも助けになる

(私のお気に入りは、昔から変わらず、米原万理。代表は、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』
梨木香歩も、『春になったら苺を積みに』など昔のものは好き(途中から合わなくなって離れた)。
星野道夫も彼の感性と、数々の深い体験にハッとさせられる)


それらをすべて経てきて、今

かつての自分からは信じられないほどに、
劇的に変化した私が存在している




今は、今ここに存在できていること、
この世は、体験することの喜びなのだと、心から思える


人は変化し続ける生き物なので、
またこの先変わっていくかもだけど、
存在するすべてが愛しい✨

そう思うようになって10年
その感覚はますます強まり、
シンクロニシティや、さまざまな奇跡が呼び込まれてきて

感情はもちろん人間なので揺さぶられたりするけれど、
それらを全部ひっくるめて、
『生きることはエクスタシー』
と、心から思える🌈



そういえば、妹と3年半ぶりに会った話の展開を書きそびれてた!

昨日、彼女からの話を聞いて、
苦しんで3年半自分に向き合い続けてきたことに対しての共感と、
歩み寄ってくれた彼女の、器の大きさのようなものも感じ、
ありがとう、と思え
すんなり受け入れられた

別れ際は、”ハグしていい?”と言われて、ハグ。(私はハグが苦手なのでぎこちなかったけど)

彼女は軽井沢に移住してから、自然のなかで色々変化していったのかもしれない
自然の力(エネルギー)は偉大

またこの先関係は変化していくかもしれないけれど、
とりあえず新たな関係がスタート

人間関係は、家族、恋人、友人などなどすべて、自分を進化させてくれるけれど
近しければ近しいほど、その影響は大きい


秋分に起きた、妹との復縁話から、つらつらと書いてみました☆


人生は本当に、本当に色々な事が起こるけど、
捉え方が変われば、景色ががらっと変わる✨


どう人生をクリエイト(創造)していくか?は自分次第♡


(もし私にお手伝いできそうであればお気軽にお声がけください♬)
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