失恋とは、「愛されていたもう一人の自分」を失うことなのかもしれない
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失恋すると、私たちは相手を失ったと思う。
もちろん、それも事実だよね。
でも本当に失ったのは、それだけなんだろうかと思う。
その人と一緒にいる時だけ現れる「もう一人の自分」も、
同時に失っているのかもしれないんだ。
どういう事かと言うと、恋愛って楽しくって、
一緒に笑ったり、泣いたり、怒ったりするよね。
なんだか自分じゃないみたいって感覚になると思うんだ。
でも、嬉しい、楽しいばかりじゃないよね・・
失恋すると、かなりシンドイ。
「どうしたら忘れられますか?」と聞きたくなる。
でもある時、ふと思ったんだ。
本当に苦しいのは、
相手を失ったことなのかな?
もしかすると、
愛されていた自分
必要とされていた自分
一緒に描いていた未来
を、”失った苦しさ”なのかもしれない。
失恋すると、
私たちは相手のことばかり考えるよね。
でも、
なぜ「あの人」だったのだろう?
私はあの人に何を求めていたのだろう?
苦しい時、悲しい時って、
胸が苦しくなるし、
息も出来なくなるんだよね・・・
だからこそ、
「私は何を失ったのだろう?」
という問いは、
案外大切なのかもしれない。
人は関係性の中で初めて「私」になる。
これは哲学者マルティン・ブーバーの考え方なんだ。
私たちは一人で生きているようで、
実は誰かとの関係の中で、
自分という存在を形作っている。
「恋愛を哲学する」ことは、
復縁の方法を探すことではないんだ。
忘れる方法を探すことでもない。
失恋という出来事を通して、
自分は何を愛し、
何を求め、
何を失ったのか。
人は誰かとの関係の中で生きている存在だから、
失恋は、相手を失うだけではないと思うんだ。
その人との関係の中にいた「自分」も失う事と同じ事なんだ。
だから苦しいのかもしれないね。
では、その失った先に、
どんな自分が待っているのだろう?
失恋を哲学するとは、
そんな問いを見つめることなのかもしれないね。
本当に自分が何を求めていたのか、
分からなくなってしまった。
そんな時は、一人で答えを出そうとしなくても大丈夫です。
あなたの中にある言葉を、一緒に辿っていきましょう。
いつでもお待ちしています。