小説『奇妙なお城の怖くて不思議な話』

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 男は門の前に立つ少女を眼にして、胸が躍っていた。
 少女は五、六歳くらいだっただろうか。
 桃色の髪をしていた。自毛だろうか。

 少女の名前はイリーザと言うらしい。大きなヌイグルミを大切そうに抱えている少女だった。

 両親、祖父母の四人を皆殺しにした。
 彼女には兄弟もいたが、彼らも殺した。

 男は殺人犯だった。
 元々は裏社会の用心棒だったのだが、そんな裏社会からも逃亡した。元々は傭兵として訓練を受けていた事もある。男は貧困の中、育ち、親からの愛は無かった。

 男の顔は醜く、表情も邪悪に満ちていた。
 彼は殺人鬼だった。
 死臭が彼にはこびり付いて、それはシャワーで幾ら洗っても落とせないものだった。

「おじちゃん。何者?」
 幼少期の少女は、その男を見て、無感情な瞳で見ていた。
 彼女は大きなクマのヌイグルミを手にしていた。
「君のお父さんもお母さんも、もう、このお城の中にはいないよ…………」
 男は少女を散々、なぶってから殺す事に決めた。手したナイフに舌を垂らす。

「ああ。私、殺されるんだ?」
 少女は浮かない顔をしていた。
「お嬢ちゃんは死ぬのが怖くないのかい?」
 男は何気なく訊ねる。

「いや別に…………。私、その、生まれ付き、頭がおかしいんだって……」
 少女は言い淀んでいた。

「恐怖を感じるとか、そういう心が無くて、お医者さんに見せられて……」
 少女の顔は少し曇る。だが、それだけだった。
 彼女の表情にも、心にも、恐怖による動揺は微塵も無い。自身の死すべき運命を受け入れている、というよりは、まるで死や暴力が何かを理解していないみたいだった。あるいは、自身の家族の死に対する恐怖も無いのかもしれない。

「おじさんはね。ヤケクソなんだよ。色々な処から逃げ出してきた。そして、お嬢ちゃんの家は豪邸だね。だから此処をこれから根城にしようと思うんだ」
「そう。それで、私を殺すの?」
 少女は無邪気に訊ねる。

「もう少し生かしておく。いざとなったら、お嬢ちゃんは、連中に対する人質だから」
 男は歯を剥き出しにして笑った。
 ……男には名前が無かった。……いや、様々な異名で呼ばれた、様々な偽名を名乗った。だが、男には名前を付けてくれる両親がいなかった。ただ、欲しかったのは、対等な存在だった。対話をしてくれる、対等な存在。それを男は欲し続けていた。だが、あらゆる者達が男にそれを許さなかった。
 男の眼からは、少女が何処までも無垢に見えた。

 だからなのだろうか。男は気まぐれを起こした。
 少女を壊さなかった。


 それから、数年の間、男は少女を育てた。
 暗殺術や人間の拷問方法、そして外敵から身を守る方法。

「ボンナイフを使えば人間の皮をよく剥げる」
「そう」
「死体は凍らせて切り分けるんだ。腐敗を抑えられるし、持ち運びも便利だ」
「素敵な話ね」
 獲物の狩り方を男は少女に教える。
 少女は無邪気な表情で、男の話を聞く。

 男は椅子に座り、天井をぼうっと眺めていた。この城には地下牢のような場所もある。
「もう、わたしは長くないと思う」
 男は少女に呟く。

「なんで?」
「ちょくちょく仕事に出かけていただろう? 恨みは沢山、買ってきた」
「それは、私の為?」
「それは関係ない」
「ふふっ。それは良かった」
 少女はクラシック音楽を聴きながら無邪気に洗った。その顔は、どこまでも無垢だった。

 男の瞳には仄かな贖罪のようなものがあった。
 少女は男が彼女の本当の家族を殺害する前から、壊れていた。いや、壊れていた、というよりも、欠損していたのだろう。少女の母親の日記には、小動物や虫と玩具の区別が付かない実の娘に対する苦悩が書かれていた。生まれ付いた脳の異常。恐怖や愛情を感じる事が欠落している。

「ねえ。おじちゃん」
「なんだい?」
「おじちゃんの因果において、私は何も関係ないと思うな。私は無為自然に生きて、まるで大きな機械の部品のように、この城の一部として生きている。おじちゃんが私を殺しても、殺さなくても、どうだって良かったんだと思う」
「そうかい。難しい言葉を知っているんだね。でも、君は無垢で…………」
 わたしの乾いた心を潤した、と、男は呟いた。
 少女は動物の解剖に熱心だった。

「私は生き物の亀裂のようなものが見えるよ。それにそって、刃物を入れるのかな?」
 他者の痛覚に対する共感性が著しく欠如したのか、やがて少女は生きた動物を手に掛ける事も躊躇わなくなった。
 男はつねに生きる痛みに焼かれ続けていた。
 ぼうっとしている時に、無心になれず酷い不安と恐怖に襲われる。自分は沢山、人を殺した。数え切れない程の凶悪犯罪を犯し続けた。それはつねに得体の知れない不安から逃れる為だったと思う。自分は愛情や温もりを他人から感じる事が出来ない存在だった。
 歪で仮初の家族ごっこだ。

「貴方は間違っているんだろうけど。私は貴方の意志を継ぐ。本当に解剖学に詳しいんだね?」
 イリーザは冷たい眼で、彼を見ていた。
 彼女はふふっ、と笑う。
 冷酷で無邪気な微笑。
 怪物に育てられた少女。

 よく二人で口にしたのは、調理した羊肉だった。殺して血を抜いて、解体した。香辛料をかぶした。スープと一緒に口にした。毎日の夕餉は楽しかった。
 命を口にする事を、男は少女に教えられた気がした。
 強盗も詐欺も、男は命を戴く事だと考えていた。だが、それは正しくなかった。この城の中にいて、少女といる間は、男は正しい生き方をしようと決めた。無論、外に向かって、犯罪を犯す時は違うのだが。
 狼と仔兎の共存が、つかの間の間、生まれていたような気がした。
 耳鳴りのように、ノコギリの刃のようなものが耳の奥をつんざいていくような感覚を感じる。男は少女に出会って、おそらくは人の感情らしきものが芽生えた。それは愛情というには余りにも歪で独占欲と呼ぶには、男は少女に強い所有意識は無かった。ただ二人の間で時間ばかりが流れた。

 男は少女の両親を殺した。
 城の地下室で。
 そして死体は近くの農場にバラバラにして埋めた。
 少女はその事を知っている。
 だが、彼女は何も言わなかった。
 …………、この二人の関係性を壊さない為に…………。


 ある日の事だった。
 男は追われていた。
 男を追っている者は、かつて男に家族を殺された復讐者だったり、街の保安官だったりした。中には賞金稼ぎ達もいた。とにかく、男は追われていた。そして、全身、傷だらけになり、男は致命傷を受けた。投げ矢、投げ槍を全身に受け、刀剣の傷もあった。爆薬で顔も焼かれた。男は命からがら隠れ家にしている城へと戻った。
 門の前には幼いツインテールの娘がいた。

「…………。なあ、イリーザ……、お前は何処に行きたい?」
 男は娘に問い掛ける。
 娘は腰を下ろすと、優しく男の額を撫でた。

「私はこの邪悪な城の主を引き継ぐわ。もうお休み」
 男は息をしていなかった。
 イリーザは彼の頭を撫でた。
 男は何も知らない。自らに嘘を付き続けた。この城がなんで、自分の感情が何なのか知ろうとしなかった。男は人生の残りの時間に、幻想の贖罪のようなもの、幻想の人の温もりのようなものに縋ったのだ。

「怪物は怪物を対峙した者の最期まで、その正体を現さない事もあるのだと聞く」
 少女は呟く。
 男の心臓は止まっていた。


 後日。
 男を追ってきた者達の死体が城の前に並んだ。
 イリーザは“鍵”を開けて、城の奥に住んでいる者達を解き放った。彼らは獰猛で邪悪で貪欲で、そして、無慈悲だった。ある程度の武力を持っている連中など、簡単に殺し尽くした後に、城の奥へと戻っていった。
 イリーザは男から教えられた方法で死体を丁寧に解体していって近くにある畑の中に埋めた。生命は巡り流れていく。農作物の堆肥として死は使われていくのだ。彼らはニンジンやジャガイモなど、カレーライスの材料へとなるだろう。何か月後には、甘い野菜が実る筈だ。

「さてと。カレーを作らないと。ビーフシチューもいいなあ」
 この辺りには牛や羊が放し飼いにされている。
 食料には困らない。

「怪物が正体を明かすとは限らない。最期まで普通の人間のフリをして、幸福のまま人を見下ろしているだけという事もあるから」
 少女の両親、祖父母、兄弟もまた邪悪な者達だった。
 少女の血縁の者達は各地から、精神に異常をきたしてる犯罪者ばかりをコレクションして、城の中に住ませていた。少女の血縁を殺した男はその事を知らなかった。……城の中で入る場所は決まっていたから。

「貴方もコレクションだったんだよ」
 少女は男の死体を一瞥する。

 ………………少女の両親をフリをしていた者。少女の祖父母のフリをしていた者。少女の兄弟達は、彼女の本当の血縁では無かった。偽りの家族、家族ごっこ。……少女の本当の血縁者は城の奥底の何処かにいる殺人犯達の中にいるかもしれない。だが、少女イリーザは、自分の事は何も知らないし、そもそも、興味も無い…………。



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