【実話】余命3ヶ月 -娘さんが最後に選んだ場所ー 後編

記事
コラム

私が感じたかすかな違和感

娘さんと中庭の散歩が実現した頃、毎日のようにお部屋へお母様の様子を見に行っていた私は、何か不思議な感覚になっていました。
違和感というのか・・・何かが違うような感じがしていました。

施設へ来た頃のお母様は、毎日のように高熱を出していました。
そのたびに座薬で熱を下げる。私たちは、それを繰り返すことしかできませんでした。それでも声をかけ続けました。
「今日はいい天気ですよ」
「娘さん来られますよ」
「みんな待ってますよ」
血の気が引いた青白い顔、どんな声かかけをしても変わらない表情。

しかし、この頃から体調に変化が起きていました。
熱が出なくなったのです。座薬を使う回数も明らかに減ってきている。
もう余命も1か月を切っている。身体が熱を出す力も失ってきているのか?
いや、違う。明らかに顔色が以前よりも良くなっている・・・。
私たちは信じられない思いで再検査をお願いしました。
訪問診療の医師は少し驚いた表情をしていましたが、私たちが感じる何かを確かめる為に渋々「一応検査だけでもしてみましょうか」と再検査を承諾してくれたのです。

奇跡は本当に起きた

検査結果は――
なんと血液中から感染していたはずの菌が消えていたのです。
敗血症が治っていたのです。
あれほど大きな病院で難しいと言われた病気が、治っていたのです。
私は医師に聞きました。
「何か特別な薬を?」
先生は静かに言いました。
「何もしていません。ごく普通に使われる抗生剤です」
私は鳥肌が立ちました。
これは、娘さんの想いだ!
介護士たちの毎日の声かけだ!
みんなの思いが、この方を引き戻したんだ!
本気でそう思いました。

お母様が目を覚ました

脳腫瘍の手術は成功している。敗血症も治った。
お母様の命を奪う要素は全て無くなったのだ。
それから数日後、お母様は目を開けました。
娘さんの顔を見ると、にっこり笑ったのです。
娘さんはその場で泣き崩れました。
「お母さん…分かるの…?」
お母様は小さくうなずきました。
もう一度会話できるなんて、誰も思っていなかった。
あの部屋にいた全員が泣いていました。
医療でも説明のつかない出来事が目の前で起こったのです。
私はあの日の事が今でも忘れる事ができません。

入院先の病院へ

事実上、余命宣告が撤廃されたお母様。
そうなると、鼻から腸まで入れている管を新しい物に交換する必要がありました。この管は本来1か月に1度交換するものでしたが、交換には入院先の病院へ行く必要がありました。
しかし、お母様の移動の負担などを考え、余命である3ヶ月は交換しないでいく事にしていたのです。この管も3ヶ月間詰まらない事を祈りながらの使用でした。
全てが綱渡りだったのです。でも、もうそんな心配もなくなります。

やがて入院先の病院へ受診する日が来ました。
担当医師はご本人を見るなり驚き、「こんなことが・・・これは施設の皆さんのおかげです」そう言ってくださいました。
私は誇らしかった。
現場で毎日寄り添ってきた介護士たちの姿が浮かびました。
この人たちが起こした奇跡だ、と。

誰もが予想しなかった結末

けれど現実は厳しいものでした。
管の交換と一緒に脳腫瘍の術後の経過をみる為のMRI検査が行われました。
検査結果は・・・・・・・・脳腫瘍の再発。
再手術は難しく、余命2ヶ月とのことでした。
2度目の余命宣告です。こんなことがあってよいのでしょうか?
娘さんは泣き崩れていました。私も後頭部を鈍器で殴られたような感覚で、しばらくその場から動けませんでした。

新たな余命2ヶ月

今度も、その余命宣告は外れて欲しい!皆がそう願っていました。
しかし、現実はそんなに優しくありません。
お母様は徐々に目を覚ます時間が減り、やがて眠ったままになりました。
そして2ヶ月後。
お母様は静かに旅立たれました。
本当に悔しかった。
もっと娘さんと話してほしかった。
もっと笑ってほしかった。
中庭を一緒に歩いてほしかった。
介護士たちにも、もっと報われてほしかった。

あの出来事は私の心に刻まれた

でも、今でも思います。
私たちは確かに、あの方の人生に希望を取り戻した。
余命3ヶ月と言われた人が、娘さんと笑い合えた。
もう一度、親子で言葉を交わせた。
それだけで、あの時間には意味がありました。
命の長さは選べなくても、命の時間をどう生きるかは支えられる。
あの日の奇跡を、私は一生忘れることはないと思います。

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