「ヘルプマークを、ファッションと呼んだ私たちへ」 診断名のつかない苦しさは、どこに溜まっているのか

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美容・ファッション
新宿のどこかで、10代の女の子が、赤いマークを胸元に下げている。
雑誌記事は、彼女のことを「ファッション感覚でヘルプマークを付ける若者」と書いていた。彼女の名前はAさんとされていた。記事の見出しには「驚きの理由」と書かれていた。
私は、彼女の言葉のほうを、もう一度読み直したいと思った。
「学校には友達がいませんし、家族も仲がいいわけではなく、自分の居場所がないのでどこで遊んでいても疎外感があります。そうするとヘラってしまい、いつも『私が悪い』って感じで自分を責めて気分が落ち込みます」
彼女はそう話していた。
学校に友達がいない。家族とも距離がある。どこにいても疎外感がある。心が不調になると、自分を責めて落ち込む。
これを「ファッション感覚」と呼ぶ前に、立ち止まりたい言葉が並んでいる。
別の女の子、Bさんはこう話していた。
「これを付けていると、いろいろな人が優しくしてくれます。『私が頑張るんじゃなくて、甘えてもいいんだ』って思えてきます」
「甘えてもいい」と思えてくる、と言っている。
裏返せば、それまでずっと「甘えてはいけない」と自分を縛ってきた、ということだ。誰にも頼らないように、誰にも迷惑をかけないように、息を止めるようにして生きてきた女の子が、赤いマークを胸元に下げて、ようやく息を吐いている。
その姿を、私たちは「悪用」と呼ぶのだろうか。
ヘルプマークは、東京都が2012年に作ったマークだ。都営地下鉄や福祉窓口で配布されている。医師の診断書も、障害者手帳も必要ない。
東京都福祉局は、こう答えている。
「突発的な出来事で混乱してしまう、1人でいると不安になってしまうというような症状をお持ちの方であっても、配布の対象です」
つまり、制度は最初から、診断名のつかない苦しさを持つ人を、受け取り手として想定していた。
「学校に居場所がない」「自分を責めて落ち込む」「1人だと不安になる」──これらは、診断書には書かれない。けれど、本人にとっては、立っているだけで精一杯の現実だ。
AさんもBさんも、制度の建前から外れていない。
外れていたのは、彼女たちを「ファッション」と呼んだ私たちの目のほうかもしれない。
もちろん、本当に必要な人に支援が届かなくなる懸念は、軽い話ではない。それは別の議論として、丁寧に続けていくべきだと思う。
ただ、その議論を始める前に、一つだけ確かめておきたい。
赤いマークを胸元に下げて、ようやく「甘えてもいい」と思えた女の子の声を、「驚きの理由」というラベルで処理してしまうこと。それ自体が、一番取りこぼしてはいけないものだったのではないか。
言葉になりきらない苦しさは、診断名のつかないところに、いちばん多く溜まっている。
胸元のマークは、もしかしたら、声にならなかった声の代わりに揺れていたのかもしれない。
今日もどこかで、誰かが赤いマークを下げて、街を歩いている。
そのマークの下にある言葉を、もう一度、読み直してみたいと思う。
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