スーパーで「普通の人たち」を見て、泣きそうになったことがあるか

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外を15分歩けるようになった頃、私は「近所のスーパーに買い物に行く」という、ささやかな目標を立てた。

たかがスーパー。されどスーパー。

休職してから、ずっと卵かけご飯かウーバーイーツだった。久しぶりに「自分で食材を選ぶ」という行為に、ちょっとワクワクすらしていた。

平日の夕方。買い物カゴを手に取った、その瞬間——

レジで、満面の笑みで接客している店員さん。 週末の献立を相談しながら、楽しそうにカートを押す夫婦。 お菓子コーナーで「これ買って!」と無邪気にはしゃぐ子供。

普通の風景。何の変哲もない、夕方のスーパー。

なのに、私の足は、その場で止まった。

(——私、何やってるんだろう) (みんな、普通に生きてる) 
(普通に働いて、普通に家族がいて、普通に笑ってる)
(私だけ、ここにいる時間の流れが、違う)

涙が出そうになって、カゴを置いて店を出た。何も買えなかった。

その夜から始まった、自己否定のループ

帰宅して、ベッドに潜り込んだ。

「なんで、あんな普通の光景で泣きそうになったんだろう」 「私、こんなに弱かったっけ」 「もう、社会復帰なんて無理かもしれない」

これが入り口だった。

最初は「比較」が始まった。SNSを開いてしまう。同期の投稿を見て凹む。インスタのストーリーが、全部自分への攻撃に見える。

数日後から「反芻」が始まった。過去の失敗を、何度も何度も思い出す。「あのとき、ああしていれば」「なんであんなこと言ったんだろう」。寝る前の30分、同じシーンが100回再生される。

2週間後、私は「遮断」に入った。カーテンを閉めっぱなし。スマホを見ない。家族とも話さない。

そこから約1ヶ月、何もできなかった。

たかがスーパーだった。 なのに、1ヶ月を失った。

「他人の普通」が刃になる理由

後から知ったことがある。

回復期の脳は、健康なときとは情報の処理の仕方がまったく違うらしい。他人と自分を比較したときの心理的ダメージが、健康なときの何倍にもなるという研究がある。

つまり、スーパーで見た「笑顔の店員」「楽しそうな夫婦」「無邪気な子供」は、健康な人にとってはただの背景だけど、回復期の私にとっては自分を刺す刃になっていた。

これは、私が弱いからじゃなかった。 脳の状態が、そう感じさせていただけだった。

一つだけ変えたこと

自己否定のループから抜け出せたのは、カウンセラーに言われたある一言がきっかけだった。

「比較するのをやめるのは無理です。脳は比較するようにできているから。でも、比較する相手は変えられます」

それまで私は、スーパーの夫婦、SNSの同期、普通に働いている人たち——全員を比較対象にしていた。

そこから、比較対象を「1ヶ月前の自分」に変えた。

1ヶ月前の自分は、何分歩けた? → 今日は? 
1ヶ月前の自分は、何時に起きていた? → 今日は?
1ヶ月前の自分は、スーパーに行けた? → 今日は?

ほぼ確実に、1ヶ月前の自分より今の自分のほうが進んでいる。

これをやり始めて2週間で、「自分、ちゃんと回復してるじゃん」と初めて思えた。

他人と比べるのは止められない。でも、比べる相手を変えることはできる。

スーパーの夫婦と私は、同じレースを走っていない。あの人たちは「家族」という競技の選手。私は「回復」という競技の選手。種目が違うのに、順位を比べていた。

そう思えた日から、スーパーで泣かなくなった。

あなたへ

もし今、スーパーやコンビニで、街中で、SNSで、ふと「普通の人たち」を見て心が折れそうになったなら。

それは、あなたが弱いからじゃない。 回復期の脳が、そう感じさせているだけだ。

比較するのをやめなくていい。 比べる相手を、「1ヶ月前の自分」に変えてみてほしい。

きっと、あなたは思っている以上に進んでいる。
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