『40代、スマホを置いて「物語」に帰る夜』

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コラム

「早く寝なさい!」子供たちを寝かしつけ、不満な声を寝室に押し込めてやっと静かな時間が訪れる。

かつての私は、この時間にソファに沈み込み、無意識にスマホを手に取っていた。指先でタイムラインをスクロールし、誰かのキラキラした休日や、見知らぬ誰かの愚痴、そして「効率的な生き方」を説く広告を眺めては、脳をチリチリと無駄に摩耗させていた。

「……今日は、やめておこう」

私は充電器にスマホを繋ぎ、そのままリビングに置き去りにした。寝室へ持っていくのは、1台の端末ではなく、少し重みのある一冊の漫画だ。

寝室の灯りを落とし、手元の読書灯だけを点ける。シーツの中に潜り込むと、洗剤の香りが「お疲れ様」と自分を包み込んでくれる。ここから先は、誰の妻でもなく、誰の親でもない。ただの「私」に戻る時間だ。

ページをめくると、インクの匂いが微かに鼻をくすぐる。
選んだのは、最近よくある転生もの。

少し前は主人公の無鉄砲な勇気に憧れた。けれど、40代になった今の私の目に留まるのは、主人公を影で支える脇役の、言葉にできない葛藤や静かな決意の方だった。

「ああ、この人も、守るものがあるから強かったんだな」

若い頃には気づかなかった行間の感情が、今の自分の人生経験と重なり、じんわりと心に染み込んでいく。スマホの画面越しに流れてくる情報にはない、深い「対話」がそこにはあった。

物語に没頭するうち、現実世界のタスクリストや、明日への不安が、霧のように薄れていく。
異世界の風の冷たさ、登場人物の震える声。五感が研ぎ澄まされ、白黒のページが鮮やかな色彩を持って脳内に広がる。

この感覚だ。
幼い頃、親に「早く寝なさい」と叱られながら、布団の中で懐中電灯を頼りにページをめくった、あの純粋な没頭。
大人になって忘れていたはずの、でも心の奥底でずっと求めていた「どこか遠くへ行く」という自由。

ふと顔を上げると、壁の時計が12時半を指していた。
スマホを見ていた1時間は、ただ消費されて消えていく。けれど、物語に浸った1時間は、誰にも邪魔されることなく読み切った満足感で満たされている。

最後のページを閉じ、そっと読書灯を消す。
暗闇の中、心地よい余韻がさざ波のように押し寄せる。

明日の朝、スマホの通知がいくつ溜まっていても構わない。
今夜の私は、物語の世界を旅して、失いかけていた「自分」をちゃんと連れ戻してきたのだから。

目を閉じると、まだ物語の残像がまぶたの裏に揺れている。
明日はきっと、今日よりも少しだけ、機嫌のいい自分でいられる。そんな予感に抱かれながら、私は深い眠りへと落ちていった。
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