最近、私の周りでは、世間で言うところの「お試し」のような出来事が続いていました。
これまでの私は、それを「新しいステージへ行くための試験」や、本気度を問われる「覚悟の試練」のように捉えていた気がします。
けれど、ふと、その解釈に小さな違和感を覚えました。
宇宙は、私たちに「本当に準備ができているの?」と厳しいテストを課すような存在ではなく、実はもっと「過保護」な存在なのではないでしょうか。
「お試し」と言われる現象は、私たちを試しているのではなく、
「本当にそっちに行って大丈夫? 怖くなったら、いつでも前と同じ道(慣れ親しんだ場所)に戻れるように、扉を開けておいてあげるね」
という優しさ。
いえ、もっと言えば、
「念のためにもう一度、慣れている道を通らせてあげるから、最終確認してごらん」
という、半ば強引で、お節介なほど手厚い「帰り道」の用意。
それが、私たちが「お試し」と呼んでいるもののことなのだと感じたのです。
さらに言えば、これは私たちの内側、つまり「脳」の仕組みでも同じことが起きているのかもしれません。
脳にはRAS(網状体賦活系:自分にとって重要な情報だけを拾い上げるフィルター)という機能があります。
これまで「自己犠牲」や「必死の努力」で自分を守ってきた脳にとって、古いパターンは「生存に関わる最重要案件」。
だから、新しい道へ進もうとすると、忠実な門番であるRASが、
「あ! 昔の慣れたパターン(重要案件)が来たよ! 対応しなくていいの?」
と、良かれと思って警報を鳴らしてくれます。
その警報があまりに大きくて、無視することに苦痛を感じてしまったり。
ついうっかり反射的に、あるいは脳と一緒に「そうだよね!重要案件だよね!」と、元通りの行動を選んでしまったり。
用意された「非常口」をわざわざ確認させてくれる宇宙の最終確認。
そして、懸命に過去の重要性をリマインドしてくれる、脳の健気な働き。
内からも外からも、私たちはこれほどまでに守られ、大切に扱われていた。
そう考えたら、あんなに深刻に捉えていた「お試し」が、ただの「確認ボタン」に見えてきました。
「心配してくれてありがとう。でも、私はもう大丈夫。こっちの道へ進むね。」
そんな風に、宇宙と自分の脳の過保護さにニッコリと笑いながらお礼を言えたなら。
「試練」という力みは消えて、心地よいリズムで、新しい未来へと足を踏み出せるのではないでしょうか。