生きる理由のない人へ—「ひとつでも肯定するものがあるならば」

生きる理由のない人へ—「ひとつでも肯定するものがあるならば」

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 拙文も増えてきて、久しぶりの投稿ともなりました、世界の片隅にオンラインカウンセリングルームを置いている倉澤ちえです。
 前回がちょっと物騒ですが「死にたい人へ」だったので、そこから引き続き、今度はそこから一歩下がって、「生きる理由のない人へ」伝えたいメッセージを打ち込んでおります。
 まず、正直に言いますね。今、私自身には「生きる理由」は特別ないです。
 それでも生きているのは、一応、どうしても死ななければならない理由もないからというのと、何より愛猫を大切にするために生きております。
 「死にたい。」と誰かが言うと、多くの人は「もっと自分を大切に」などと言った言葉が飛び交います。
 しかし、中には自分自身こそ大切にするのが難しいという気持ちの人間もいることを、自己肯定感がきちんと機能している人はなかなか理解してくれなかったりします。
 私は、私が生きていることで、消費という形で殺されている命があることが、ずっと耐え難かったです。生態系ピラミッドの頂点が人間という解釈にも納得していないので、私にとって、自分の命も、肉親の命も、他者の命も、うちにいるメダカの命も、普通の人間が思うような差は大してないのが、私にとっての事実です。
 ただ、私にとって猫だけは特別でした。
 小学三年生頃、ひとり暗い部屋で泣いている時に、初めて自分から膝に乗ってきてくれた愛猫の思い遣りを、忘れた日はありません。ぐずぐずと蹲って、誰にもつらさや悲しみを訴えることもできずにいた私に、「しょうがないなぁ、あんたはうるさいからそんなに好きじゃないんだけど、今だけは傍にいてあげるわよ」とばかりにそっと寄り添ってくれたあたたかみ、それは私にとって奇跡であり、救済でした。そしてその思いは、大分前にその子が亡くなり、保護や譲渡で新しい子と迎えながら見送ってを繰り返してきた今も変わらずあります。
 世の中で、何度か目にしてきた、私にとって好ましくない主張があります。「自分を愛せない人間が、他者に愛されるわけがない」というものです。その比喩として、「だって、お菓子だとしても、「これはおいしくないけど、食べて」って言わないでしょ」ともありました。
 でもその比喩に、正直なところ、本当に正当性はありますか?
 甘いものが嫌いな人にとって、ミルクチョコレートは好きになれない食べ物かも知れませんが、逆にチョコレートや甘いものを好む人に、自分は食べられないからあげる、と言ったら、チョコレートを好む人は普通、喜びませんか? それとも、「私にくれなくていいから、もっとチョコレートを好きになってよ!」なんて言う人が、いるでしょうか?
 好き嫌いは千差万別です。それは人間にも言えます。自分を好きになれない人に、自分を好きになれと強要するのは、甘いものが嫌いな人に、甘いものを好んで食べろと言うに近いのです。つまり、無理なのです。もっといえば、理解不能なのです。「何故に?」という範囲なのです。
 だったら、生きる理由を自身に固執する必要ってありますか?
 嫌いなら嫌いでも、いいと私は思います。
 それに追い詰められてしまうくらいなら、生きる理由なんて本当になんでもいいと、私は思います。
 私にとっては、飼い猫を始めとした猫たちです。
 そういった動物でもいいですし、家族や恋人や子どもや親友、そういった人の存在でもよいと思います。
 例えば、あなたを大切に想う、誰かがいるとしましょう。そしてあなたも、その人だけは嫌いじゃないとしましょう。
 そんな中で、その人は、あなたがあなたを傷つけると言った行為で、哀しくは、つらくはならないですか? 同じように痛くならないですか?
 だったら、その、あなたを大切に想う、あなたにとっても大切な誰かのために、少しだけ自分に優しくしてあげることは、できませんか?
 本当に、なんだっていいのです。推しを推すために生き、そのために仕方なく労働もする。その推しは、人でなくアニメキャラクターだっていいと私は思います。
 何か好きな趣味は、ありませんか?
 好きなアーティストがいる方、今後の新曲に未練はありませんか?
 好きなゲームのシリーズがある方、新作が出た日のためにもう少しだけ待ってみませんか?
 好きな漫画が完結してない方、これからどうなるか、ちょっと気になりませんか?
 ガーデニングが趣味の方、新種の綺麗な花が咲くのを見たくはないですか?
 グルメを好む方、新しい味をもっと味わってみたくはありませんか?
 本当に、そんな「些細な何か」でよいと想うのです、自分が生きることを許す理由くらいなんて。
 高尚な何かなど、必要ないと、私は思います。
 そうしてあなたが生きていく中で、しんどくなりながら踏み出した一歩は波紋となり、きっと誰かに善くも悪くも届くと思います。あなたが生きることで、人生に微かな潤いとなる方が、気付かなくてもどこかで現れると私は思っています。
 だから、なんでもいい。なんとなく、何かのために、生きてみませんか?
 そうして悩み、考えられるあなただからこそ、なるたけ善い生き方を選ぶことができ、よい影響をたくさん与えられ、悪影響は最小限に抑えられ、きっと世界をほんの少し、やさしい側へ動かせると、そう思うからです。
 これを読んで、ちょっと生きてみようと思う人が仮にいたなら、僥倖です。         
 そして更に、生きようとは思ったものの、まだ一人で立ち上がるのは少しきつい、そう思う日があったなら。
 私は世界の片隅で、雑談カウンセリングルームを開いています。
 相談でも、愚痴でも、支離滅裂でも構いません。疲れた日にふらりと立ち寄る場所の一つとして、そんな場所があることだけ、路傍の少し艶のある小石くらいに覚えておいていただけたら嬉しいです。
 その時はきっと、猫以外で私の生きる理由が、また一つ増える日です。 

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