「平穏無事」と聞くと、
毎日ひなたぼっこして、何も問題がなくて、
穏やかに日々が過ぎていく——
そんなイメージを思い浮かべる人はきっと多いと思います。
でも本当は、
一日に一つくらい“小さな出来事”がある方が、
人生は豊かになります。
気づきが生まれ、学びが深まり、
心が少しずつしなやかになるからです。
だからこそ、まったく波のない状態よりも、
“心地よい風と、ほどよい波”がある状態。
それこそが本当の「平穏無事」なのかもしれません。
そう考えると、
本来は年齢を重ねるほど内面は成熟し、
家族関係も安定していく方向に向かうはずです。
——と、少々極端な言い方をしましたが、
実際のところ、私の周りを見ていると
むしろ逆のパターンの方が多いように感じます。
その理由や個々のストーリーは、また改めてお話したいと思いますが
今日は「平穏無事」という言葉に隠れた落とし穴を、
今まさに困難に直面している人にこそお伝えしたいのです。
それは——
「誰にとっての平穏無事なのか?」
という視点です。
家族全体が穏やかで安定しているなら、それは素晴らしいことです。
しかし、もしその“平穏”が、
父親だけにとって心地よい状態
母親だけが息をひそめて維持している状態
子どもだけが我慢して成り立っている状態
だとしたら、その「平穏」は、本当に平穏と言えるのでしょうか?
誰か一人の犠牲の上に成り立っている静けさは、
静寂ではあっても、調和ではありません。
家族はチームです。
全員の呼吸が自然に整ってこそ、
“本物の平穏”が生まれます。
もし今、あなたが
「平穏でいなければ」
「波風を立ててはいけない」
と自分に言い聞かせているのだとしたら、
どうか一度立ち止まってほしいのです。
その平穏は、
誰のためのものですか?
誰かが苦しさを飲み込んでいませんか?
あなた自身は、息をしてますか?
波があってもいい。
むしろ、波があるからこそ、人生は循環します。
それぞれの成長にもつながります。
偽物の「平穏無事」と本物の「平穏無事」との違いは
全員の成長につながっているかどうか
ぜひ、その点を今一度思い返してほしいです
あなたにとっての「本当の平穏」が
少しずつ形を持ちはじめますように。