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「お朔日参り(おついたちまいり)」って何?!どうするの?教えて!!

皆様いつもありがとうございます。 今回は 『お朔日参り(おついたちまいり)』 についてご説明させていただきます。 皆様は、 お朔日参り (おついたちまいり)をご存知でしょうか? あまり耳慣れない言葉ですが、 毎月1日に神社に参詣することを お朔日参り(おついたちまいり) と言います。 お正月など、 年の始めに神社に参詣するのは 「初詣」 それに対して、 月の始めに参詣するのが 「お朔日参り」 です。 昔からお朔日参りには ご利益がある! と言われており、 現在も 毎月一日には 多くの方々が 神社などに ご参拝されます。 では、 お朔日参りについての ポイント をご紹介します。 まず、 お朔日参りでは、 あなたの自宅近くの 『氏神神社(うじがみじんじゃ)』 にご参拝されることを お勧めします。 氏神神社とは、 あなたのお住まいの地域にある 神社のことです。 地域に住む人々のことを 氏子(うじ)と言い、 そのエリアに住む人々(氏子)を 守ってくれる地域の神様が まつられている神社に 行ってください。 また、 お朔日参りは 毎月1日に 参拝する必要があるため、 あまり遠くの神社に行くのは 向いていません。 なぜなら、 無理のない範囲で、 長く続けることが 大切だからです。 有名神社が良い というわけではないんです。 そして、 お朔日参りでは、 まずは 無事に過ごせた前月の感謝を 神様に捧げることから始めます。 何事もなく、平穏無事に過ごせるのは 決して当たり前のことではありません。 感謝の気持ちを忘れずに、 神様にしっかりと 手を合わせましょう。 そして、 神様に感謝を捧げた後で、
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「平穏無事」の落とし穴②

— 本当の平穏は、あなたを犠牲にしない —前回に続き、今日は“別の角度”から「平穏無事」についてお話ししたいと思います。■ 平穏でいたいのに…? まさかの言葉不当な扱いをされて、胸の中にモヤモヤがたまっていく。それでも勇気を振り絞って、そっと自分の気持ちを伝えたときに。返ってきた言葉がまさかの——「せっかく平穏無事に過ごしているのに、波風立てないで」え……?思わず心が止まるような、そんな瞬間。“私、悪いことした?”と頭の中がぐちゃぐちゃになる。そんな経験、ありませんか?■ なぜこんなことを言われるの?(心理の裏側)実はこの言葉、あなたに向けたもののようでいて、本当は 相手自身の問題 を語っています。そこにある本音はこうです。「責められたくない」「自分の行動を振り返りたくない」「今のままが楽だから変わりたくない」つまり——“私はこのままでいたいから、あなたが我慢してね”という意味とほぼ同じなのです。これは平穏ではなく、ただの“自分勝手な安定”です。■ そんなときには、この言葉を。理不尽な言葉で押し返されると、心がフリーズします。だからこそ、その場で使える言葉、この一言だけ覚えておいてください。「それって、あまりにも一方的じゃないの?」この言葉は、相手の“すり替え”を優しく元に戻す力があります。あなたが悪いのではなく、ただ 公平さを求めているだけということを、ちゃんと示してくれる言葉です。■ 気持ちの立て直し方心が揺れたときは、まず自分の感情の順番を丁寧に拾ってあげてください。ショックだった怖かったでも、勇気を出した自分がいたこの順で心に触れるだけで、驚くほど落ち着きを取り戻せます
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「平穏無事」の落とし穴①

「平穏無事」と聞くと、毎日ひなたぼっこして、何も問題がなくて、穏やかに日々が過ぎていく——そんなイメージを思い浮かべる人はきっと多いと思います。でも本当は、一日に一つくらい“小さな出来事”がある方が、人生は豊かになります。気づきが生まれ、学びが深まり、心が少しずつしなやかになるからです。だからこそ、まったく波のない状態よりも、“心地よい風と、ほどよい波”がある状態。それこそが本当の「平穏無事」なのかもしれません。そう考えると、本来は年齢を重ねるほど内面は成熟し、家族関係も安定していく方向に向かうはずです。——と、少々極端な言い方をしましたが、実際のところ、私の周りを見ているとむしろ逆のパターンの方が多いように感じます。その理由や個々のストーリーは、また改めてお話したいと思いますが今日は「平穏無事」という言葉に隠れた落とし穴を、今まさに困難に直面している人にこそお伝えしたいのです。それは——「誰にとっての平穏無事なのか?」という視点です。家族全体が穏やかで安定しているなら、それは素晴らしいことです。しかし、もしその“平穏”が、父親だけにとって心地よい状態母親だけが息をひそめて維持している状態子どもだけが我慢して成り立っている状態だとしたら、その「平穏」は、本当に平穏と言えるのでしょうか?誰か一人の犠牲の上に成り立っている静けさは、静寂ではあっても、調和ではありません。家族はチームです。全員の呼吸が自然に整ってこそ、“本物の平穏”が生まれます。もし今、あなたが「平穏でいなければ」「波風を立ててはいけない」と自分に言い聞かせているのだとしたら、どうか一度立ち止まってほしいのです。その
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