愚痴の裏に見えるもの

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イライラした時、家族に話を聞いてもらうことで、少し落ち着くことがある。

嫌だったこと。
理不尽だったこと。
言葉にして外に出すだけで、気持ちが軽くなることはたしかにあるのだと思う。

でも、聞いてもらえたことと、わかってもらえたことは、たぶん同じではない。

相手が穏やかに相槌を打ってくれた。
「大変だったね」と返してくれた。
だから、自分の気持ちは理解されたのだと思う。

けれど実際には、相手はそこまで同調していないこともある。
ただ、その場を荒立てないように聞いているだけ、ということもある。

吐き出した側は少しすっきりする。
でもその裏で、聞く側はなんとなく疲れていることがある。

身近な相手ほど、愚痴は無遠慮になりやすいのかもしれない。

この人なら聞いてくれるだろう。
このくらいは大丈夫だろう。

そんな安心感があるからこそ、言葉にブレーキがかからなくなる。

でも、聞いてくれることと、疲れていないことは別だ。

表面上は聞いている。
その場では反論もしない。
だからこそ、相手が消耗していることには気づかれにくい。

悪気があるわけではない。
ただ、近いから。
安心しているから。
その結果、無遠慮になる。

それが、身近な関係の少し怖いところなのかもしれない。

思わず負の感情を受け取ってしまった時、私は相手の顔を見ている。

鼻が広がったな、とか。
顔赤いな、とか。
唾飛んだ、とか。
眉毛にも白髪あるんだ、とか。

聞かされている内容とは全然違うことを見ている。
表向きは真剣に聞いている顔をしながら、少しだけ別のところに意識を置く。

まともに受け取りすぎると、こちらまで疲れてしまうから。

そんなふうに、自分なりの対処法があるだけで、同じ時間でも少し違ったものになるのかもしれない。
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