「ちゃんとしている人が眩しく見える日」

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ちゃんとしている人が
やけに眩しく見える日があります。

子どもの話を聞いているとき。
他の家庭の話を耳にしたとき。
夫婦のやりとりや
家族のあり方に触れたとき。

みんな、
落ち着いていて
判断が早くて
迷いがなさそうで。

それに比べて自分は
立ち止まってばかりいる気がする。
考えすぎている気もするし
うまく回せていない気もする。

「人は人、自分は自分」
そう思おうとしながら
同時に
それって自分勝手なのかな。
と揺れることがあります。

ちゃんと向き合えていないだけじゃないか。
楽なほうに逃げているだけじゃないか。
そんなふうに、
自分に問いが向いてしまう。

気づけば、
誰かと競争しているわけでもないのに
勝手に負けたような気持ちになっていて。
焦りだけが
胸の奥に残る。

以前の私は、
この感覚を
「比べすぎだ」と片づけようとしていました。

でも今は、
眩しく感じる日は
自分の中に
大切にしたいものがある日
なのかもしれない、と思っています。

迷っているということは
どうでもよくはない、ということ。
簡単に割り切れないほど
ちゃんと考えているということ。

ちゃんとしている人が眩しく見える日は
自分が劣っている証拠ではなくて
まだ決めきれない何かを
大事に抱えている途中なのかもしれません。


自分は、今
何を感じてる?
どうしたい?


そう思えるようになってから
あの眩しさは
自分に気づくための
ひとつのヒントのように
見えるようになりました。



もし、
一人で整えるのが少しつらいときは、
話すことで呼吸が楽になることもあります。
必要なときに、思い出してもらえたら。
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