第6話:踏み込めない一線と、壊れ始める均衡
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任された案件は、順調に進んでいた。
少なくとも、表面上は。
「ここまでまとめられているなら、問題ありません」
蒼さんの声は、いつも通り落ち着いていた。
感情は乗らない。
評価は簡潔。
でも、その中にある“信頼”は、確かに感じられる。
「ありがとうございます」
私は軽く頭を下げた。
以前のような緊張はない。
でも、別の意味で落ち着かない。
(……距離、近いな)
隣に立つ蒼さんの存在が、妙に意識に入ってくる。
仕事の話をしているだけなのに、
言葉の一つ一つに、余計な意味を感じてしまう。
「澪さん」
「はい」
「最近、安定していますね」
その一言で、
胸がわずかに揺れた。
「…そうですか?」
「はい。視点もブレていませんし、判断も早いです」
淡々としている。
でも、それが逆にリアルだった。
(……ちゃんと見てる)
そう思った瞬間。
嬉しさと同時に、
少しだけ怖くなった。
「…蒼さんは、ずっとこうやって見てるんですか?」
気づいたら、そんなことを聞いていた。
一瞬、間が空く。
「仕事ですから」
短い答え。
(……そっか)
当たり前の答えなのに、
なぜか少しだけ引っかかる。
「…じゃあ、誰に対しても同じなんですね」
自分でも分からないまま、言葉が続いた。
蒼さんは、少しだけ視線を外した。
「基本はそうです」
その“基本は”という言葉に、
なぜか心がざわつく。
(……なに期待してるの)
自分で自分に突っ込む。
それ以上は、聞けなかった。
その日の夜。
家に帰っても、
会話が頭から離れなかった。
(……なんであんなこと聞いたんだろう)
ただの確認のはずだった。
でも、本当は違う。
(……私、何を知りたかった?)
答えは、分かっていた。
(……特別かどうか)
その瞬間。
一気に現実に引き戻される。
(……違うでしょ)
仕事だ。
ただの上司と部下。
それ以上でも、それ以下でもない。
なのに。
どうしても、その境界線が曖昧になっていく。
翌日。
「澪さん、この件なんですが」
いつも通りの声。
いつも通りの距離。
でも、昨日とは少し違う。
私は、ほんの少しだけ距離を取った。
無意識に。
蒼さんは、一瞬だけその動きを見た。
何も言わない。
でも、気づいている。
空気が、わずかに変わる。
(……やばい)
自分でも分かる。
このままいくと、
どこかでバランスが崩れる。
「…すみません、少し席外します」
私はその場を離れた。
廊下に出て、深く息を吐く。
(……落ち着け)
でも、落ち着かない。
嬉しい。
認められている。
もっと近づきたい。
でも同時に。
壊したくない。
その二つが、ぶつかっている。
(……これ以上は、ダメだ)
そう思った瞬間。
一つの答えが浮かんだ。
(……距離、取らなきゃ)
それが正しいと、頭では分かっている。
でも、心は納得していない。
そのズレが、
少しずつ大きくなっていく。
オフィスに戻ると、
蒼さんは変わらずそこにいた。
「…大丈夫ですか」
静かな声。
「はい、大丈夫です」
即答する。
嘘だった。
でも、それ以上は言えない。
蒼さんは、少しだけ私を見て、
「無理はしないでください」
とだけ言った。
その一言で、
またバランスが崩れそうになる。
(……やめて)
優しさなのか、
ただの配慮なのか。
分からない。
でも、確実に。
この関係は、
“ただの仕事”ではいられなくなっていた。
続く。