「自分ばかりが大変だ」という重い荷物を背負い続けているとき、私たちはある種の「万能感」の中に逃げ込んでいます。
「私がいなければ回らない」
「私がやらなければ誰もやらない」
そうした責任感の裏側には、「完璧にこなさなければ、自分の価値が証明されない」という切実な恐怖が張り付いています。
そして、その恐怖こそが、自分の内側にある「弱さ」を直視させないための強固なガードレールになっているのです。
弱さを隠すための「有能さ」という鎧
私たちは、自分の至らなさや、本当は何もしたくないという無気力、あるいは誰かにすがりたいという脆さを、自分自身ですら認めたくありません。
それらを直視することは、これまでの自分の立ち位置を根底から揺るがすような「痛み」を伴うからです。
だからこそ、「自分ばかり」という過酷な状況を作り出し、その忙しさで心を麻痺させようとします。
自分が有能で、必要不可欠で、犠牲的であるという「役割」を演じている間は、その裏側にある不格好な自分を見なくて済みます。
抱え込むことは、自分を直視する機会を意図的に摘み取るための、生存戦略なのです。
弱さは「埋めるべき穴」ではない
しかし、ここで視点を変えてみてください。
あなたが必死に隠そうとしているその「弱さ」こそが、実は今の膠着した状況を打破するための、唯一の「資源」であるという考え方です。
「できない」「助けてほしい」「やりたくない」
そうした本音を曝け出すことは、敗北ではありません。
むしろ、それこそが周囲に「あなたが人間であること」を伝え、他者が介入する余地を作る、最も強力な武器になります。
あなたが完璧な鎧(抱え込み)を脱ぎ捨て、自分の弱さを認めたとき、周囲は初めて「あなたという人間」と、役割を超えた対話ができるようになるのです。
直視することから始まる、本当の自由
「自分ばかり」という盾を置き、鏡の前に立つこと。 そこには、あなたがこれまで必死に守ってきた、脆くて不完全な自分が映っているはずです。
その不完全さを認めることは、一見すると惨めなことのように思えるかもしれません。
しかし、その弱さを認めてしまえば、もう「強くあらねばならない」という呪縛に縛られる必要はなくなります。
弱さを曝け出す機会を、自ら奪わないでください。
自分を直視し、その「弱さ」を前提にして生きることを決めたとき、「自分ばかり」という重い現実から、あなたは初めて本当の意味で解放されるのです。