「修繕」を止め、自分を「改修」する | 壊れたままから始まる、新しい自分
「自分ばかりが大変だ」という思い。それは、私たちが自分という建物の「雨漏り」を必死に繕い続けてきた結果かもしれません。これまで私たちは、自分の弱さが露呈しないように、あるいは今の役割が崩れないように、必死に「修繕」を繰り返してきました。抱え込むこと、忙しくすること、自分を犠牲にすること。それらはすべて、今の自分という形を、無理にでも維持するためのコストだったのです。「修繕」には終わりがないしかし、現状を維持するための「修繕」には、本当の意味での終わりがありません。一度直しても、また別の場所が壊れ、私たちはまた新しい「大変さ」を見つけてきては、自分を埋め尽くそうとします。なぜなら、その建物(今の生き方)の構造自体が、すでに限界を迎えているからです。自分の弱さを直視せず、無理な抱え込みを前提とした設計。そのままで走り続けることは、自分という人間の「耐用年数」を削り続けることに他なりません。壊れたまま、鏡の前に立つもし、今の苦しさが「自分を守るための手段」であると気づけたのなら、一度その「修繕」の手を止めてみてください。あえて雨漏りを放置し、壁が崩れるのを止めない。すると、そこには「何もできない自分」「誰かに頼らざるを得ない自分」という、これまで必死に隠してきた姿が曝け出されます。それは一見、崩壊のように思えるかもしれません。しかし、その「壊れた状態」こそが、新しい人生を設計するための、まっさらな土地(更地)になるのです。「改修」という、未来への投資私たちが本当にすべきなのは、過去の自分を守るための「修繕」ではなく、未来の目的のために自分を作り替える「改修」です。自分の弱さを隠すため
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