仕事の責任は重い。
妻や子どもからの期待も大きい。
それでも、心のどこかで「今の生活を変えたい」という渇望があった。
少しでも前に進もうと、仕事を効率化し、わずかな空き時間で資格勉強や自己啓発を続けた。
それを15年近く繰り返した。
でも、突破口は見えなかった。
気づけばもうすぐ40代。
「このまま人生が終わるのかもしれない」と思った。
こんな心の状態で、これからさらに増える仕事の重責を負えるのか。
自分にも、周りにも、不誠実さを感じながら生きていた。
そんな自分の内面を、絶対に子どもたちには見せたくなかった。
でも同時に、それ自体が悪影響を与えているのではないかという不安もあった。
もう動きたくない。
頑張りたくない。
何も考えたくない。
それでも、不都合な未来の映像が脳内に渦巻き、不安は何年も抜けないほど膨らんでいた。
一度、本気で「死にたい」と思ったこと
面白いことが何も思い浮かばない。
辛い未来のイメージしか出てこない。
周りから本当は必要とされていない気がしていた。
だから、死にたいと本気で思った。
でも、残される家族、特に子どもへの影響を考えると、その選択はできなかった。
じゃあ、どうするか。
死ぬくらいなら、今の生活を捨てようと思った。
やりたいことをやってからでも遅くない。
もし、心からやりたいことに向き合う姿を子どもに見せられるなら、結果がどうあれ、それは一つの参考になるんじゃないか。
そう考えた。
でも、「好きなこと」はできなかった
「好きなことをやろう」という言葉は魅力的だ。
今までできなかったことだし、その先に成果があるのなら素晴らしい。
でも、できなかった。
そもそも、好きなことがわからない。
仮決めしても続かない。
そこで気づいた。
自分は「好きなことを我慢していた」のではなく、
わからないからできなかったのだと。
なぜわからないのか。
自分を殺して生きてきたから。
幼少期か、学生時代か。
いつからかはわからない。
でも確実に、自分の感覚を切り離して生きてきた。
根本的に足りなかったもの
家族、親、友人、仕事、お金。
いろいろ考えても、浮かぶのはネガティブなことばかり。
「好きなこと」で生きると決めても、何も変わらない。
そこで思った。
何かが、根本的に足りない。
自信?
自己肯定感?
愛情?
どれも近い。
でも、少し違う。
感覚的な何か。
もし、今のネガティブな気持ちが問題なら、その裏側にあるはずだ。
常に前向きでいられる源泉のような何かが。
アドラーとの再会
一つの転機となったのが、アドラー心理学との再会だった。
10年前にも読んだことがある。
でも今回は印象が違った。
「共同体感覚」
いまのままでいい。
そこにいていい。
誰かとつながっているという感覚。
当時も理解した気になったことを覚えている。
でも、正直、10年経っても自分にはまったくなかった。
それは思考を変えれば手に入るものだという。
自己受容。簡単にいうと、そんな感覚なんだろうか。
本を読み漁る中で、自分のような神経症的な例がたくさん出てきた。
衝撃と同時に、「自分だけじゃない」という安心もあった。
ただ、アドラー自身が「難易度の高い症例」と書いていて、不安も強まった。
拒絶反応の1週間
この体験は大きかった。
原因不明の眠気に1週間襲われた。
本を読むと眠くなる。
心はざわついている、のにだ。
拒絶反応だったのかもしれない。
書いてある内容を受け入れたくない。
読むのが辛い部分もあった。
でも、辛いからこそ答えに近づいている確信があった。
だから止まれなかった。
理屈では理解した。
体が慣れるまで1週間。
でも、世界が劇的に変わったわけではない。
ただ、「もう答え探しをしなくていいかもしれない」という清々しさがあった。
劇的には変わらない。でも進んでいる
そこから、改めて自分の内面と向き合うことを始めた。
自分は、
何に反応するのか。
何が嫌なのか。
何に感動するのか。
紙に書いた。
言語化した。
声に出した。
たぶん、どれも正解。
どれも効果はある。
でも、劇的には変わらない。
3ヶ月続けて、
「あ、前に進んでいるかも」と気づくレベル。
でも、それで十分だった。
そもそも以前は、3ヶ月続けることすらできなかったのだから。
受験や資格勉強のように決まったルールはない。
仕事のように、誰かに評価されるものでもない。
自分で決めて、自分で評価することを続ける。
それができなかった。
「無価値観」は幻想だった
変化のポイントは一つだった。
自分の中の「無価値観」は幻想だと気づいたこと。
「共同体感覚」の捉え方が変わった時から、
これまで読んできた心理学、自己啓発の本でも
本質的には同じことが書かれていることに気づく。
理屈を理解した。
だからトレーニングした。
だから変わった。
単純な話だ。
ただし重要なのは、
その理屈に確信を持てるかどうか。
人間にはホメオスタシス(恒常性)がある。
基本的に変化を嫌う。
行動できない人ほど、
「変わりたい」と言いながら、本音では変わりたくない。
自分がそうだったから、よくわかる。
だから、これまでの思考を覆す理屈に出会ったとき、
拒絶反応が起きるのは正常なのかもしれない。
ワクワクするだけの助言は、
現状肯定を前提にしか起きないのではないか。
少なくとも、助言者の意図とは別に
受け手は、そういう姿勢で捉えてしまう。
いまはそう思っている。
最後に
厳しい現実を受け止めることは、簡単ではない。
受け止められるかどうかより、
「選択できるかどうか」が難しい。
自分で選ぶしかない。
選べるようになるまで、試行錯誤するしかない。
もし、あなたにも、その覚悟があるなら。
選択はしてあげられない。
でも、不安な道のりを一緒に歩くことはできる。
できるだけ迷わず進めるように、道を示すことはできる。
必要なのは、あなたの判断だけだ。