書きあぐねてる書きあぐねる作家の髙橋P.モンゴメリーは冷蔵庫に卵があるという奇跡をどう思うか?

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冷蔵庫を開けたら、卵があった。
その瞬間、私は少しだけ神を信じた。
いや、大げさではない。
卵というものは、勝手に冷蔵庫へ入ってこない。
玄関のチャイムを鳴らして、
「どうも、卵です。いつもの場所に入っておきますね」
などと言ってくれるわけではない。
ましてや夜中に忍者のように台所へ忍び込み、
自らパックに並び直して、賞味期限の印字まで整えてくれるわけでもない。
それなのに、冷蔵庫を開けると卵がある。
牛乳もある。
味噌もある。
ラップもある。
なぜか切れそうで切れない醤油もある。
あれは一体、なんなのだろう。
昔の私は、それを「あるもの」だと思っていた。
冷蔵庫に卵がある。
洗面所にシャンプーがある。
トイレットペーパーが切れていない。
洗濯物が、だいたい着られる状態で存在している。
それらを、自然現象のように受け止めていた。
朝日が昇る。
雨が降る。
春になると桜が咲く。
冷蔵庫に卵がある。
そんな並びで考えていた。
けれど、ある日、シャンプーが切れた。
正確に言うと、切れていた。
容器を押しても、出ない。
もう一度押しても、出ない。
最後の望みをかけて容器を逆さにし、振った。
ぺこ。
という、なんとも情けない音がした。
そのとき私は初めて気づいた。
シャンプーは、勝手に増えない。
当たり前である。
しかし、この当たり前というやつは、だいたい失ってから急に威張り出す。
「ほら見ろ、俺が大事だっただろう」
みたいな顔をしてくる。
シャンプーがないだけで、風呂場は急に荒野になる。
頭を濡らした人間ほど無力なものはない。
こちらはもう全身ずぶ濡れで、社会的にも精神的にも引き返せない。
そのとき、ようやく私は思った。
誰かが、詰め替えていたのだ。
誰かが、空になりかけた容器に気づいていた。
誰かが、買い置きの残りを見ていた。
誰かが、次に切れるものを予測していた。
誰かが、まだ見えていない未来の不便を、先に片づけていた。
家事とは、目の前の皿を洗うことだけではないのかもしれない。
まだ起きていない面倒を、起きる前に小さくしておくこと。
まだ困っていない誰かのために、困る前の場所へ手を伸ばしておくこと。
暮らしが大事件にならないように、毎日こっそり小事件を処理しておくこと。
そう考えると、家の中には名探偵が多すぎる。
「そろそろ麦茶がない」
「そろそろゴミ袋を買わないと」
「そろそろ洗剤が切れる」
「そろそろ冷凍ごはんを作っておいた方がいい」
この「そろそろ」に気づく人がいるから、生活は崖から落ちずにすんでいる。
家事のすごさは、終わったあとに拍手が起きないところだ。
料理を出しても、
「この献立を考えるまでに冷蔵庫の残量、賞味期限、家族の好み、昨日のメニュー、明日の予定を総合的に判断しました」
とは、いちいち発表しない。
洗濯物を畳んでも、
「このタオルは乾きが甘かったので、少し長めに干しました」
とは報告しない。
ゴミをまとめても、
「燃えるゴミの日を逃すと、この家は三日後に軽い地獄になります」
とは宣言しない。
家事はいつも、手柄を言わない。
だから、やった人より、やられていないことの方が目立つ。
皿が残っている。
洗濯物が山になっている。
トイレットペーパーがない。
シャンプーが出ない。
やられている家事は透明で、
やられていない家事だけが、急に巨大化する。
なんだか、家事はかわいそうだ。
あんなに毎日働いているのに、存在感を出すときは、だいたい失敗したときなのだから。
でも、そこに気づいてから、私は少しだけ冷蔵庫の見方が変わった。
卵がある。
それは、ただの卵ではない。
買い物へ行った人がいる。
値段を見た人がいる。
割れないように持って帰った人がいる。
冷蔵庫の空きを作った人がいる。
明日の朝、誰かが困らないようにした人がいる。
卵は、卵でありながら、誰かの段取りでもある。
そう思うと、冷蔵庫の中は少しだけ美術館みたいになる。
牛乳。
納豆。
豆腐。
半分だけ残ったキャベツ。
いつ買ったのか少し自信のないチューブのわさび。
どれもこれも、暮らしの展示品だ。
タイトルをつけるなら、
「昨日の誰かが、今日の私を助けている展」
である。
少し長い。
たぶん入場無料だ。
最近、私は買い物へ行くと、卵を買うようになった。
前より少しだけ、気をつけて持って帰る。
袋の一番下に入れない。
自転車のカゴで暴れさせない。
家に帰ったら、冷蔵庫のいつもの場所へ入れる。
たったそれだけのことなのに、少し得意になる。
家事をした、というより、未来の誰かに小さな罠を仕掛けた気分になる。
明日の朝、誰かが冷蔵庫を開ける。
そして思う。
「あ、卵あるじゃん」
その一言のために、卵はそこにいる。
家事の味方とは、特別なヒーローではないのかもしれない。
エプロンをつけていなくてもいい。
完璧でなくてもいい。
料理が得意でなくても、収納が上手でなくてもいい。
ただ、誰かの「困った」を少しだけ先回りする人。
そして、家事の見方が変わる瞬間とは、
その小さな先回りに気づいた瞬間なのだと思う。
冷蔵庫に卵がある。
シャンプーが詰め替えられている。
トイレットペーパーが最後の一個ではない。
ゴミ袋がちゃんとある。
麦茶が、なぜか冷えている。
それは全部、暮らしが今日もちゃんと続くように、誰かがそっと置いてくれた白い石みたいなものだ。
道しるべみたいに、目立たない。
でも、なかったら迷う。
だから今日、私は冷蔵庫の卵を見て思った。
これは食材ではない。
これは、家庭内における小さな奇跡である。
そしてその奇跡を作った人は、きっと今ごろ、誰にも気づかれないまま、次の名もなき家事をしている。
たぶん、詰め替え用シャンプーの袋と格闘している。
あれだけは、どんな名人でも少しこぼす。
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