信じるとはどういうことを言うのでしょうか。この世界に絶対というものは存在しないにしろ、ほぼ確かであると思われるものには、この「信じる」という言葉はあまり使われない印象がございます。例えば、持っている物から手を離したら、物が落ちることを信じるという言い方はしないように。
信じるという行いには、多かれ少なかれ、「不確実性を含めて」正しいと思うという部分があるのでしょう。占いなどはまさに、信じるという言葉がよく使われるものでございますが、私はそういう意味では、自分が学んだ分野の占いを「信じ」てはいないかもしれませんね。それは太陽が昇るのと同じように、自明の理であると思っているからでございます。もし何かが違ってしまった
なら、人間が占いの技術の使い方を間違えたということです。
……ともかく、私たちが何かを信じるかどうかという場面に直面したとき、「それ」は果たして信じられるのかどうかという視点を持ちがちでございますが、逆に「あなた」は最初の段階でそれをどのくらい信じる人なのかということは自覚すべきところではないかと思うのです。
私たちは、ものを信じるにも、証拠を積み上げたり、信頼を築いたりして時間をかけ、どのくらい信じられるかどうかを徐々に判断することが普通かと存じます。
ところが、私たちには見たいものを見て、信じたいものを信じるという性質があり、自分の最初の判断を強化する材料ばかりを集めてしまうことが常なのです。
つまり、最初から物事を疑ってかかりがちな人は、それが信じられない要素ばかりを集めてしまい、最初から信じ込みやすい人は、それを信じられる要素ばかりを集めてしまいがちということです。
ですから、自分が疑ってかかりやすい人間なのか、それとも信じ込みやすい人間なのかをきちんと自覚し、反対の要素も拾えるようにすると正しい判断がしやすいのかもしれませんね。
「あなた」は信じやすい人ですか?それとも疑いやすい人ですか?