記憶の改ざんか、世界のバグか。自分の「感覚」が信じられないあなたへ

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コラム
皆さん、こんにちは。心理カウンセラーのルーム718です。
先日、犬の散歩中に、思わず足がすくむような奇妙な感覚に襲われました。

いつも通る公園。そこには、毎年、見事な花を咲かせる桜の大木があります。
お犬の歩みを見るため地面に集中していると(たまに他のわんちゃんの💩があるので…)、足元には緑色のつぶつぶした物体が。
よく見るとそれは花びらのように見えました。「え?緑の花びら?」ふと見上げたその樹に、私は強烈な違和感を覚えました。

咲いていたのは、ピンクではなく、淡い葉っぱのような“緑色の花”。

調べてみれば「御衣黄(ぎょいこう)」という珍しい品種だそうです。でも、ポイントはそんなことではなく、自分の記憶に腹落ちせずに、どうしても納得がいかない。

いや、この樹は間違いなく、去年までピンク色の花をつけていた。絶対、ピンクだったはずだ

来る日も来る日も、毎日犬の散歩で通っている場所です。
見間違えるはずがない。私の記憶の中では、春風に舞うピンクの花びらが鮮明に残っている。なのに、現実は「え?最初からこの色でしたよ」と言わんばかりに、平然と緑色の花を湛えているんです。


まるで、世界の方が書き換えられてしまったかのような、あるいは自分の脳がバグを起こしたかのような、言いようのない不気味さ。

「私の記憶違い? でも、あんなにハッキリ覚えているのに……」

そうやって、自分自身の認識が足元からガラガラと崩れていくような感覚。皆さんも、日常の中でそんな「自分の感覚への不信」を抱くことはありませんか?


「私がおかしい」と自分を疑い始めてしまう時
カウンセリングの現場でも、よくこうしたお話を伺います。

・「あの時、あの人は確かに私を馬鹿にした。でも、周りは『冗談だよ』と言う。おかしいのは私の受け取り方?」
・「どこかがおかしいうちの家庭。でも親は『どこの家だってそうよ。』と言う。私の被害妄想なの?」

自分の肌で感じた「確かな違和感」があるのに、現実や他人の正論や一般化に歪められて、「やはり私が間違っているのかな…」と無理やり自分を納得させてしまう。


特に、機能不全家庭や、自分の感覚を否定され続けて育った方は、この「自分への不信」が癖になっています。自分の直感よりも、外側の正解を優先して、自分の心の声を殺して生きる。それは、自分の存在を少しずつ透明にしていくような、とても苦しい作業です。

その違和感は、あなたを守るための「羅針盤」です。
今回の桜が、本当に私の記憶違いなのか、それとも今年だけ異変が起きたのか。事実はどうあれ、私が「絶対ピンクだった、私の記憶に誤りはないはず」と強く感じたこと。その事実だけは、誰にも否定できない私だけの真実です。

正しいか、間違っているか。そんなジャッジは一度脇に置いてください。
「私はこう感じた。私はこう見えた」
その小さな違和感をスルーせず、まずは自分で認めてあげること。それが、バラバラになった自分への信頼を取り戻すための、最初の一歩になります。

日常の中で感じる「あれ?」という微かなノイズ。
それは、あなたの心が「私を見つけて」と送っている、大切なサインかもしれません。


ルーム718は、あなたが抱えるその「モヤモヤの正体」を、一緒に見つけるお手伝いをしています。
毒親、愛着の悩み、対人関係の生きづらさ。
「こんなこと話してもいいのかな?」と思うような、あなたの心にしかない景色を聴かせてください。

毎日、深夜まで通話待機しています。
あなたのタイミングで、いつでもお声掛けくださいね。


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